土壇場でこそ発揮される「バカ」力の効力(2)
厄年とは別に、人間人生にはいくつもの「節」でつながれているようです。
人生山あり谷ありですが、その山と谷はひとつの節でつながっているようです。
その取り扱いを誤ると谷はさらなる奈落の底に向かうかもしれません。
「電力の鬼」松永安左ェ門は「人間三つの節を通らなければ一人前ではない」と言いました。
その三つの節とは、「闘病」「浪人」「投獄」であると。
発言者の松永自身が明治二十二年の慶応義塾在学中にコレラに感染して生死の境を彷徨ったこと。
明治四十年の株大暴落で破産して浪人生活を余儀なくされたこと。
そして、明治四十三年には贈賄容疑で小林一三と共に投獄の体験を有しておりますから
説得力はあります。
松永(明治八年生まれ)って、「バカ」力以前にホントお馬鹿な人でして、
九州は長崎の因島で裕福な庄屋の息子として生まれました。
慶応に入って株を摘んでは女道楽に励んでいた好事家で、
実業の世界に入った動機も「お茶屋遊び」をしたいから。とにかく考えない。
オッチョコチョイで兄貴分の桃介に利用されているのですが、本人は分かっていない。
その足跡も桃介を模倣してなぞるような生き方だったのです。
が、株で大失敗して家も火事で全焼の丸裸。
特に、松永にとっての「浪人」は彼のそれ以降の人生を大きく変えた転機とも言えるようです。
世間知らずのお坊ちゃまが単なる助平成金になったか「情念の人」と謳われたかは
ここに分岐点があるようです。いや、もしかすると、その浪人の境遇から前に踏み込めなければ、
それで終わっていた可能性も高いでしょうかね。
この後、国会議員になったりしますが、あの桃介が刮目するほどの人物に成長していきます。
ここで 土壇場の「バカ」力の考察として、
この三つの節を潜り抜けた明治の人の「バカ」力を検証してみることにしましょう。
写真は松永。爺の写真しかみつかりませんでした。若いときは男前だったと思います。