土壇場の「バカ」力【闘病】の節
松永の兄貴分に福沢桃介という希代の相場師がおります。
川越の提灯屋の倅が貧乏を毛嫌いして東京は三田の慶應義塾に学びました。
その運動会で背中にライオンの絵を描いたシャツを着て、注目を集めたその結果、
見事射止めた逆玉の輿が福沢諭吉の娘。晴れて福沢ファミリーの一員となります。
順風満帆を絵に描いたようなサクセスストーリー。
が、その自負心からか、疲労困憊の挙げ句に結核を患う。当時の結核は不治の病。
天国から地獄。哀れ桃介は結核療養所のベットの上で悄然となります。
これから後、何年、いや何ヶ月生きられるのだろうか。
プライドの高い桃介はこの先の人生とその生活資金の捻出に頭を痛めます。
病院のベッドの上でできること。とにかく時間だけはあります。
桃介の出した答えは株式投資。そして株について徹底的に勉強を始めます。
そして全貯金の三分の一を証拠金にして、病院の電話で売買を始めます。
これが見事に当たった。欲と道連れでしょうか、生への執着も湧きますから、
いつの間にか結核も快復している。
これが相場師・福沢桃介が誕生したです。
そして、彼のジェットコースター人生の始まりでもありました。
もう一人、日露戦争終結後の陸軍参謀本部で吐血した男がおります。
彼も結核に冒された事実に愕然となります。
男の名は中村天風。
日清・日露を軍事探偵として活躍して、「人斬り天風」と恐れられた男でした。
これまで危険な任務の中で一度たりとも死を恐れたことはありません。
逆に、自分の中にある狂気を持て余すことさえあったのです。
ロシア兵の銃殺隊の前に曝されたときでさえ、死に対しての恐怖は微塵もなかった。
ところが、結核という死の病に蝕まれていることを知ってから、
その恐怖に苛まれ続けてしまうのです。
天風はありとあらゆる哲学や宗教の本を読みあさり、その恐怖から逃れる手立てを探します。
その著者や著名な宗教家などを日本全国、果ては密航までして米国、欧州まで訪ねるのです
が、得るものはありません。(結構みんないい加減な奴らが多いそうです)
途方に暮れる天風。
しかし、本人の落胆とは別に、
彼の行動力を知る我々傍観者はその生への執念のエネルギーに驚かされます。
どうせ死ぬなら故郷で死にたい。天風は失意と絶望から帰国の途に就きます。
そして、マルセイユからペナン行きの船で偶然にカリアッパ師というヨガの聖人と出会います。
彼に導かれるようにヒマラヤのカンチェンジュンガ麓のゴルゲという村を目指すと、
その地で修行することとなり、そこで天風は生成するのです。治ってしまうわけです。
これを、単なる偶然と片付けるのは簡単ですが、
桃介も天風の生への執念と決してあきらめない行動力がありました。
確かに「死」とは人間に平等に与えられた現実ではあります。
闘病とはそれを一気に直面させた問題でもあります。
そのなかで「生きる事と死ぬ事は同じ」という結論もあるでしょう。
けれども、桃介や天風は必死に生きたいと考えました。
これは結果ではなく、土壇場の「バカ」力のひとつの姿勢ではないかと思います。