どうも「志」というと、崇高でとてつもなく大変なモノのように思われがちです。
幕末時代劇で憤死する勤王の志士とかのイメージが強いのか、
はたまた、ストイックで厳格なイメージ、偉人伝の常套句ですものね。
これも仕方のないところかもしれません。
まあ、伝記というのは伝記作家が書きなぞるものですから相場は決まっています。
内堀、外堀を攻めるように、志に正体の考察から行きます。
志といっても天下国家とか企業立国、戦争根絶、世界統一、なんていかない。
いけるはずがない。
そんなの最初からやったら食い合わせ食中毒、拒絶反応でグルグルです。
(グル?どっかの宗教団体にいましたね)
それではムシが良すぎて、インチキ臭いし、誠がありません。
先に紹介した桃介ブラザーズ(血縁なし)の志の原点は
長兄桃介は「大きくなったら一億円貯める」でした。(可愛気のないガキ)
そして、実業家を目指し、闘病によって、自分なりの人生観を見いだします。
彼の「敵」は資本主義経済「そのもの」へと変容していきます。
次兄安左ェ門は女道楽、お茶屋遊びを大ぴらにやりたくて実業家を目指しました。
彼が始めて取り扱ったのは使用済みの器数個です。
安左ェ門は株投機で天国から地獄、丸裸の隠棲浪人生活で己の指針を見いだします。
なんとなくね。
末弟山下亀三郎は学業がカラッキシでそのコンプレックスから立身出世を目指す。
漠然とただそれだけ。で、失敗の連続。
そのなかで、海運貿易業に携わったときに船主からピンハネされた苦い経験。
これで、ああ、自分の船が欲しいなあ。と具体的な志に進化します。
おいおい馬太郎、また明治の昔話かよ。と言うなけれ、
法政大学教授永岡文庸は日本の経営者で戦後このかた評価できる人物は生まれなかった。
と漏らしておりました。(土光さんを最後にして)
戦後と明治、何が違うのか。
土壇場の身の置き方、姿勢でしょうか。
もしかしたら変な小知恵がついたせいなのかもしれませんね。 続く
写真は土光さんのレリーフ