土壇場でこそ発揮される「バカ」力の効力(5)
人間は固定観念や杓子定規な考え方に囚われてしまうと、
そこから脱することが難しくなるものです。
それ以上に、戒めや我慢こそが健全な努力であって、
やりたい放題や好き勝手は誤った方法論だと考える傾向があるようです。
確かに、それも一理はあるのですが、
自分の望むことが罪深い事だと決めつけてしまうのも何か変な感じがしませんか。
そこの落とし穴もあるようです。
明治の日本人は土壇場であきらめとは別の「達観」と「勝負」を繰り返しました。
到底、相当の度胸がなければできないことです。
大倉財閥の創業者である大倉喜八郎が鰹節商人から鉄砲商人に商売替えした時に、
その生命を賭けて生命を守ったこと。
結果として一文の利益を出さなかった箱館戦争への米の輸送に全財産をなげ売ったこと。
それが台湾出兵や、岩倉具視の使節団に自費参加(正確には現地で合流ですが)で
信用を得た事実など、枚挙に暇がありません。
確かにハイリスクは避けることが賢明なのでしょう。
けれども窮地の土壇場で守りの姿勢が必ずしも突破口にならないことは確かようです。
明治を代表する外交官・小村寿太郎はハーバード大学の留学経験を持ちながら
長い間くすぶり続けた人生を送っていました。
原因は親の借金と妻との不仲などです。
その小村に転機が訪れたとき、それは同時に新たな苦難の始まりでもありました。
三国干渉の後、韓国で起こった閔妃殺害事件。
この事後処理に向かう小村に勝海舟はこう言って励ましました。
「生死を度外視する決心がさだまれば、目前の勢いを捉えることが出来る。
難局にあたって必要なことは、この決心だけだ」そして、
「内閣から爪弾きされ、国民から恨まれかもしれない。
朝鮮人やロシア人から恨まれるかもしれないが、しかし、
よい子になろうなどと思うと、間違いが起こる。
天下みな、お前さんの敵になっても氷川の爺さん(海舟)は、
いつでも、お前さんの味方だと思っていなさいよ」と言った。言ったんですよ。
小村寿太郎はこの言葉を生涯胸に刻み
「ことの善悪は、そのひとの決断で定まる」と語ったそうです。
日本の騎兵隊の父・秋山好古は演習中の事故の責任から
切腹を決意する部下の永沼秀文を自室に呼び、自ら茶を淹れ、こう諭します。
「永沼よ、軍人は、人間は、常に腹を切る覚悟を持っていなければいけない。
しかし、そこを堪え忍、その積み重ねが人間の修養と向上なのだ。
永沼よ命を惜しめ。
そして、この茶を飲んで行け、それを飲んだら隊に戻って指揮を執るのだ」
「ええな」と好古はやさしく念を押したそうです。念を押した。
参ったな、なんか打ってて、涙が出てきます。マジで。
生きる事は、時に死んでしまったほうが楽と思う事もあるでしょう。
そういった土壇場や窮地に諦めという達観ではなく、
生死を度外した生きる姿勢と行動が活路を見いだすようです。