永谷園のお茶漬け海苔には、お茶漬けなのに熱湯を注ぐという但し書きがあります。
機会があったらご確認してみてください。
なんだ、それじゃあ、お茶漬けじゃなくて、湯漬けじゃないか。
ん、湯漬け? いま、湯漬けといいもしたね。(誰が?)
私は幼い頃からNHKの大河ドラマを観て育ちました。(田舎で昔で民放が映らない)
で、戦国モノでの食事シーン。(でた、何かと言うと観れば観たモノ)
信長の秀吉の家康も、はたまた謙信、信玄、何でみんなズルズル飯をすするの?か?
あれはみんなお粥?おじや?まさか?お茶漬け?でも、毎日お茶漬けって変!
もしかして、テレビの演出とか撮影の効率化のため?でもなぜ?
なんてことを高校生の頃は「生まれいずる悩み」のように考えていたものです。(勉強しろ)
二十歳を過ぎた頃、司馬さんの小説を鼻糞ほじくりながら読んでまして、
この時代のご飯はお湯をかけて「湯漬け」として食していたことを知ります。
なあんだ、そんなことだったの。
さて、湯漬け。
戦国時代に関東の覇者、北条早雲在り。大変な出来物であります。
この孫にあたる氏康(三代目)は隔世遺伝でしょうか、なかなかの器量人です。
さて、その四代目にあたる氏政で秀吉の小田原攻め。
北条氏は五代目氏直で滅んでしまいます。話は湯漬け。続いていますよ。
優秀な父・氏康は嫡男の氏政が心許なくてイライラ。
なぜか?
食事の際にお坊ちゃま氏政君は湯漬けのお湯を足したとか。
これに我慢がならない。
つまり、最初から見込みをつけて足りるようにお湯を入れればいいじゃないか!と。
それを後から足りなくてお湯を足すのはカンが悪いとか計画性がないんじゃないの。と。
それを言われちゃうと不肖馬太郎はイカの塩辛で湯漬けをいただくときに、
後から足すお湯の恵みに至福を感じてしまうのですが、、、。
このとき一瞬、氏康の厳しい視線を感じて、、、。は、気のせいか。
人間、足るを知れ。
とは明治の企業家・渋沢栄一が唱えた言葉です。
渋沢は論語を深く愛した人でしたが、
不覚にも湯漬けの途中で足すお湯の至福は知らなかったようです。
知っていて あえて 知らない素振り たまにあるよね (馬太郎川柳)