踊る理事会(5)
私の当初の危惧とは別に、武田さんの行動は迅速で心強いものでした。
彼は住宅問題紛争に対しての相談窓口を複数リストアップしてくれたのです。
今回の問題が建築と法律などの専門知識を有する必要から、
最初、私は理事会とは別に「地下ピット湧水問題解決特別委員会」の設置を目論見ます。
それに真っ向から異議を唱えたのが前理事長広末弁護士です。一番協力して欲しかったのに(涙)
また、住民の中で建築・建設業に関係している方から参考意見を聞こうとしましたが、
結果として得るものはありませんでした。
要は自分たちでやらなくていけないということです。
それでも二八の論理ですから具体的に動くのは理事会九名の中の二人。
それが私と、、、、武田さん。ということになったわけです。
それもあって私と武田さんの関係は急速に親密になっていきます。
なぜか気に入られたようでこの13歳以上の年長者から度々自宅に招待されるようになります。
武田さんは奥さんと二人だけで、お子さんは既に独立されたのかと思っていました。
(すこし寂しい「家庭」というのが最初の印象でした)
ビールやお酒を振る舞われる中で理事会問題以外の話題にもひろがって、
この夫婦の最愛の息子さんが18歳の若さで骨肉腫という病で他界されたことを知ります。
その悲劇から既に10年以上経っているそうです。
私たちが家族ぐるの付き合いを初めていくのにはさほど時間はかかりませんでした。
当時二、三歳だった息子を武田さんと奥さんは我が孫のように可愛がってくれます。
そして、私は彼から一冊の本を手渡されます。
その『夕陽よとまれ』という単行本には、息子さんの発病から闘病を通して、
一人の無力な父親の姿がありました。そして、救いようのない結末。
これには参りました。
幼い息子を持ったばかりの私は、砂抜きアサリが夜中にピーピー泣くようにその夜枕を濡らします。
息子さんの彼女や多くの登場人物を知ってますからリアリティーどころの騒ぎじゃあない。
目を腫らした翌朝。
さて、どうしたものか?
次回、武田さんにどんな顔で会って、なんとコメントしたらよいものか?
「よかったですよ。感動しました。」じゃあちょっと変ですよね。
結局、長い手紙を書いて、封書で郵送しました。
今考えれば、同じマンションなので切手を貼らずにポストに投函すればよかったのでしょうが、
なぜかそれもはばかられ、敢えて、離れた会社の近くの郵便局から投函したのでした。
この本は武田さんにとっての「喪の仕事」だったのですね。
手紙の最後にはそんな言葉を書いた記憶があります。
武田さんと私はそういう訳でガッチリとタッグを組んで奔走する事となります。
取り敢えずは麹町の日テレ近くにある「住宅問題紛争支援センター」に向かうのでした。
向こう見ずな私と老獪な山師的軍師のコンビはこうして結成されたのです。