私の母親が昭和3年生まれ。
80歳も目前です。
子供にとって母親の老いというのも格別につらいものです。
彼女の場合は鳩山さんと違って、いつから惚けたのか我が子でも皆目見当が付きません。
ソフトランディングでしょうか? いやかなりの乱気流胴体着陸継続状態ですね。はは
数年前から惚け具合に磨きがかかったので、妹と相談して会話の中のおかしな点を
チェックするようにしました。これもささやかな親心です。
「それは東、それは逆、それは一恵じゃなくて君子、卵焼きじゃなくて海苔玉、、、」
母親にとっては間尺に合わない下手なツッコミだったのでしょう。
逆上して
「悟れ!」
と、一喝。懇々と説教されました。頭が下がります。まあ、これはこれで仕方ないか。と
年に4回大腸癌の術後経過の検査に上京してきます。大量のお土産を抱えて。
饅頭の箱を3箱。息子と私と妻にひと箱づつです。もちろんそれだけではありません。
誰が食べるんじゃ? 下手に旨いなんていったら帰ってから宅急便で送ってきます。
勘弁してくれ~えええ。
我が家に来ても一人でベラベラ漫談師のように喋っています。
私の部屋に連れて行って聞いてやるのですが同じ話の繰り返し。壊れたおしゃべり人形か?
もういいよ、それ何回も聞いたじゃないか。といっても、
いや、話したいんだ、まあ、聞いてくれよ。と確信犯のようですから困ります。
現在と過去がゴッチャになっているのも特徴ですね。
それでも母親の終戦直後の闇市の話は好きで何度聞いても飽きません。
海水を煮詰めて塩にして熊本や北九州に米と交換に行く話です。彼女が中学生の頃。
33回往復して3回巡査に捕まったとか。
その時も満州からの引き揚げ者だとか空襲で親が死んだとか口からでまかせで許してもらったとか。
私は多分に母親の血を濃厚に受け継いでいるんでしょうねえ。
列車が動き出す時に巡査が捕まえようとしても窓枠から絶対手を放してはいけない。とかね。
米2升に対して塩1升が交換レートだったとか。色々勉強になります。
33回中3回の補導。その3回も没収されずに生還できたので凄い勝率ですが、
一応、仮にも、乙女だったのか、もう行きたくないと親に話して、
京都の山科の鐘紡に勤めました。女工さんではなく食事係りのパン屋さんです。
結構、楽しい話です。
この時、同じ部屋に絵の上手な水森亜土さんがいただの、
大島渚さんは会報誌で上手な詩を載せていたけれど立派になった。などと、
幼い頃はよく騙されました。
だから私にも彼女がいつから惚けたのかさっぱり皆目見当がつきません。
いまぐらいの惚けのままで続いて往ってくれたら
いいんですけどね。