あかんたれブルース

継続はチカラかな

奈良と京都の市役所職員の問題から声に出して聞きたい日本語

 奈良の病欠給与不正取得問題から京都の公務員の問題。
 頭の痛い話です。
 その発端を想像すれば良かれと思って考案されたシステムなんでしょうね。
 どちらも同和問題が根底にあるようです。
 関西、特に京都は同和問題は大きい。このブログの最初は野中さんを絡めた利権の話でした。
 参考記事: http://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/4214328.html

 関西や京都在住の方なら同和問題の深刻さを肌身で感じるでしょう。
 所謂、聖地と祟り場の足ツボ状態。歴史の深さの片鱗でしょうかね。
 就職や結婚の問題様々。士農工商以前の話です。まったく差別の根拠なし。
 若い頃、某小○館の人事部長が「こういう苗字の方は入社させる訳にはいかない」という逸話。
 その時の会話から姓名判断の隠れ大家かと思っていましたが、はてさて。

 原理原則論、杓子定規、マニュアル、グロバールスタンダードなどなど。
 その問題点を指摘、糾弾はいいとして、単純に鬼平を望むことが戯言に思えてきます。よ。
 そのそれぞれにも五分の魂、言い分と必要性を感じてしまう。 

 法家と儒者の戦いは紀元前から現代まで続いているようです。
 中国春秋戦国時代にピリオドを打った秦と始皇帝。この話は以前も紹介しましたね。
 秦は中原より遙か西の後進国でした。
 その秦が中国統一の力を得たのは商鞅によっての法整備にあったようです。
 それまでの秦は、たとえば嫁いで来た妻を家族が共有するという慣習があったほどです。
 始皇帝は法を選び、儒家を弾圧してその書を燃やしました。
 そして、秦は亡ぶ。中国の循環史の始まりです。

 こういちさんは清朝は空論の議論のなかで国を滅ぼしたと、西洋列強はそれを嗤ったと。
 誠のに貴重なコメントを書き込んでくれています。

 空論は国を滅ぼす。杞憂どころではありません。

 国を語れば右翼と言われ、母を語ればマザコンと言われ、核保有反対を唱えれば左翼と言われる。
 いい加減にせんかい。
 愛を語ると助平と言われ、人生を語れば神が蔓延り、それを否定すれば冒涜と言われる。
 肩翼の翼じゃあ飛べる訳はない。
 福音の大安売りじゃあ誰でも引くよ。だいたいが押しつけがましいんだよ!
 わたしゃそんなに救われたくないもんね。罰当てるんだったらトコトンやって貰おうじゃないか。
 永遠の愛を求める者、普遍の真理を求める者、しかし、決して咀嚼はしない。
 悟り?
 そんなもの、あんた、悟りの総合商社・一休和尚の最期の言葉は
 「死にたくない」だって言うじゃないの。アホらし、屁でちゃうよ。(失礼

 現代の弁護士的な法廷論法は古代ローマの三流政治家キケロがルーツ。とか。
 訴訟大国アメリカの影響が日本にも到来しているのでしょうかね。
 植民主義に便乗して布教活動した宣教師は訴訟調停もやったもんね。当然信者が有利ですよ。

 それよりなにより、私はうちのマンションの住民が挨拶しても挨拶が返ってこないことが悲しい。
 昨日の子供の話、親の話同様にみんな距離をおいている。
 でもさ、人が挨拶したら返すの当たり前じゃないの。あの広末もそう。なんなんだよ。
 老若男女関係なし。頭おかしいんじゃないの。子供の教育によくないんだよ!

 で、先日の晩。
 息子の剣道のお迎えの帰りマンションの駐輪場。片づけてたら住人が出てきた。
 「今晩は」と私、しかし、またしても返事がない。で大きな声で、
 「今晩わ!」
 びっくりした先方は戸惑いがちに「こんばんは」と。
 暗闇の中、その後ろ姿までを追う私の熱い眼差し。その時、息子が、
 「パパァ、さっきの人、今晩は、って最初言ったよ」

 ガチョ~ン!

 息子よ、それを早く言わんかい(涙)。声が小さくてパパは聞こえなかったんだよ(涙)。
 日々、是、反省。
 なにはともあれ、みなさん日本語ははっきりと大きく。なんちゃって、てへ