これまで、幾人かの恩師が私に勇気と考察のヒントを与えてくれました。
そのなかの一人、熊さんは私が30歳直前にこう諭してくれました。
「馬太郎君、若くして成功しようと思うな。
いいか20代で成功した者は、必ず潰れてしまう。いや、そのケースが多い。
その意味で、20代は仕事を覚える期間だとすればいいだろう。そして、
30代は色々なアイディアが生み出す場だ。しかし、その多くが採用はされない。
それでも、その時期に搾り出しておくんだ。人間の記憶は必ず残っている。
40代になるとそういったアイディアというものが出なくなってしまうからだ。
搾り出しているように思うのは錯覚であって、それは30代の記憶の財産なのだよ。
おおかた、その時には君の発案は受け入れられるようになっているものだ。」
場所は下北沢の「宮鍵」というおでん屋でしたね。
正直なところ、その時は「そんな先のこと」と苦笑いしていたはずです。
アイディアを引き出す搾り出すには色々な方法論があります。
出ないときにはまたく出ません(涙)。
気晴らしに眺めるテレビとか他愛もない雑談から生まれる場合。
レアケースですが寝てて夢幻でひらめく場合もあります。
必死に脂汗を流しながら抽出して生み出す荒行だってある。
それとは逆に、理詰めでいまあるパーツを積み上げていく。これがオーソドックスな手法。
一番論理的ですが、これが案外に落とし穴が多く、陳腐なケースが多いものです。
先週金曜日に元気いっぱいの営業ウーマンとネゴシエーションしました。
前向きで直向きで好感をもてる女性でした。
彼女の主張と要望、方向性はこの「理詰め」の積み上げ方式です。
男女が社会に共同で参画すれば、こういった考察に大方がなびいていきます。
しかし、その論点の出発時点に既に結果が潜んでいる。
それは戦略ではなく、大義名分でしかない。行動に説得力を持ちたいのです。
それはアイディアや発想とは異質なものです。
それでも、多数決なんかよりはずっと上質なものですけれどね。
結果は、私が87%大きく譲歩して彼女の案を入れました。
左右どちらかの選択を導くときにどちらが正しいなどというのは差ほど問題ではありません。
要は、そこに至るまでに脂汗を搾って考察したかどうか。
あとは、その選択した答えで本気になれるかどうか?ぶれないかですね。
アイデアとか発想はそれが実現して初めて存在するわけで、
そうでなければ愚痴の種、寝言と一緒です。
かといって、そのシステムだけが重視され過ぎるのも考えものですけどね。
なんかみんなシステムエンジニアとかプロジェクトリーダー思考なんだな。変なもの観た?喰った?
家庭でも仕事でもよく話し合う「場」があるといいですね。
最近はそれをめんどくさがっているケースが多いようです。