まこちゃんが映画『血と骨』を観てショックを受けているようです。
さすがに若い女性には刺激が強い作品ですかね。
ところが、梁石日の原作はもっと過激で読むに耐えられない内容でした。
この作品は彼の自身の父と母と家族の記録という私小説です。
怪物のようなこの父親は巨漢で大阪のやくざも頭を抱えた男。
たけしの演じた迫力では私には物足りなくも感じました。(あんなものじゃない)
そしてオープニングの済州島から日本に着く船のシーン。
この映画で最も美しいシーンですが、若き父・金俊平の表情には違和感を感じたものです。
この男は、絶対にこんな表情はしない。と
彼の出身地「済州島」は流罪の島です。
半島からの政治犯が此処に流され、現地の女性と結ばれるそうです。
彼らはインテリであり、またプライドも高く、一切の生産活動には見向きもしない。
働くのは「女」の役目という風潮の強さの背景はそこから発せられていると、
済州島出身の友人から聞きました。
金俊平は日本に旅立つ以前に知人の妻を強姦しています。
この女性はそのために大変な厄災を背負うことになり、
その私生児として生まれた主人公の義兄は「仁義なき戦い」の山村辰雄の子分になっています。
在日朝鮮人と暴力団の関係は密接です。
それを思うと山口組の柳川組のことを想い出しますが、それは別な機会に書くことにします。
私が考える日本の戦後史はやくざや在日の問題を抜きには語れません。
風俗関係もそうです。また、地域環境もあるでしょう。
若い頃、妻と一緒に沖縄に旅行しました。
本島から船で慶良間諸島まで行き、現地の民宿でスキューバダイビングなどしました。
食事(米)は不味かったけれど、海は美しく、貴重な体験ができました。
民宿の主「鉄ちゃん」に気に入られて、夕食後に彼の友人たちの宴に招待されます。
話が盛り上がった中で、私は親愛と情から自分が鹿児島出身だと語ってしまいました。
すると、一瞬で座の雰囲気がしらけてしまう。
鉄ちゃんと友人二人はしばらく固まって、お互いに目配せをすると彼は語りはじめました。
沖縄は長く薩摩の支配下にあり、それ以前の沖縄人は戦うことを知らない純粋な民であった。
薩摩が攻めてきたときも武器を持って抵抗するのではなく、
坂道や橋に油を流して進攻を妨げようとするくらいの発想しか持ち合わせていなかったのだと。
(そんな江戸時代の話をされてもって困惑しましたよ)
気まずい雰囲気もしばらくすれば再び、うち解けはしましたが、私はショックでした。
(そんな江戸時代の話がいまだに遺恨として存在していることが)
そのことを何年か経ってから沖縄出身の同年代のカメラマンに話すと、
彼は笑いながら「そりゃ典型的な」という形容詞をつけて、過去のお国堅気とまた笑いました。
(多分そうなのでしょう。けれども存在するのは確かですけどね)
戦前戦後の暴力団史をひもとけば、沖縄にはやくざは存在しなかったようです。
その理由は彼らの性格性質ではなく、貧困によるものです。
それが太平洋戦争の終焉でアメリカ軍の基地という関係で豊になっていく、
そこから日本全国で最も過激で残酷なやくざが生まれていきます。
そんなこんなを考えて、
『血と骨』の父親・金俊平はあまりにも個人的な資質が強過ぎて、考察の邪魔になる厄ネタですね。
部分的には歴史・社会の考証の参考にはなっても、グロテスクな金俊平の逸話でしかない。
それを積み上げれば何かはみえるでしょうが、それ自体を眺めても石ころでしかありません。
最後は北朝鮮に渡って余生を送ったそうです。