現在、神社というと右翼的なイメージが強いかもしれませんが、
これは戦前の国家神道の影響からなのでしょう。
靖国神社は当初は長州藩の戦死した志士を弔う場所としてスタートしました。
大きな鳥居をくぐると大村益次郎の銅像がある理由はそこにあります。
幕末から明治にかけて多くの宗教が日本で誕生しました。
関西地方に多かったように感じます。
明治の初年の廃仏毀釈や修験道禁止の大混乱に乗じたこともあるでしょう。
また、幕末期の日本を席巻したカルチャーブームにも一因はあるようです。
これと平行して日本中華思想が合体していったことも影響しているのだと私は思います。
漢民族国家・唐が満州族・清に滅ぼされて、中華思想の権利を獲得したと思い込んだのですね。
板東妻三郎の映画『王将』(1948年)に主人公・坂田三吉が東京で関根名人の大勝負のとき、
地元大阪では母親が一心不乱で太鼓を叩いて祈るシーンがあります。
坂田三吉は実在の人物で被差別部落出身者です。
貧困も宗教の根付くのに適した土壌なのでしょう。そして、不幸もそうです。
天保六年の生まれの出口なおは56歳で神憑りしました。
一世紀以上前のお話。明治25年、京都は福知山もしくは綾部というところです。
理由は、たぶん、彼女の不幸と貧困からでしょう。
道楽者の夫の長患いからの死、長男・次女の失踪、長女・三女の発狂。
どうしようもない貧しさが57歳の彼女を苛み続けます。
手元には13歳と11歳の娘を抱える可哀想な母親。
そして、ある晩、「艮の金神(うしとらのこんじん)」は彼女に憑依しました。
したんでしょう。したとあります。したそうです。
それから二十数年、半紙十万枚に、
彼女は「筆先」という霊界からのメッセージを書き綴っていきます。
無学だったことからお告げは平仮名と数字だけだったのは目を瞑ってあげてください。
もしかするとお告げはイメージで伝達されるのかもしれません。
霊媒師も外人が乗り移ったら日本語で応答します。
最初は狐憑きだと勘違いされたそうです。座敷牢に入れられて大変でした。
こういった憑依とかは往々にして女性に憑く場合が多いようです。
シャーマンとしての卑弥呼や孔子の母親も巫女だったそうです。
また、恐山のイタコや沖縄にもそれはあるようです。
今でも大都市ではない地方にはその類の能力者は存在しているのではないですか?
私自身も二十歳前後のときには目撃したものです。
それを非科学的でヒステリー状態とか精神病と片付けるのは簡単ですが、
修験僧が苦行によって悟るように、人間は極限状態に陥ると何かを感じるようです。
そういった時に例の電波系が入り込み易いのかもしれません。
大本教という教団の開祖・出口なおはこうして誕生しました。