玄洋社を右翼とか国粋主義者的な集団と解するのは少々短絡的であります。
そこで、この胸の思いをその主旨を簡略明快に伝えるために
夢野久作の著書『近世怪人伝』の「宮川太一郎の力帯」の段から少々抜粋して紹介しますね。
玄洋社には頭山、進藤、箱田なのどの豪傑、多士済々であったが、
その中でも宮川は柔道の達人としてその気力激烈は特筆すべき人物だった。
ところが、この宮川も考えるところあって玄洋社を脱退して米屋を始めたという。
それを心配した頭山と奈良原到、進藤喜平太の三人が忠告にいった。
三人の説得に逆ギレした宮川は妻に「俺の力帯を持って来い」と叫ぶと中腰で構えた。
交渉決裂、暴力で決しようというのである。(力帯とは柔道着の帯ね)
その力では宮川には敵わなかったようで、乱暴者の奈良原も「殺すなら俺を殺せ」とばかりに
身を投げ出してしまう。
それを静かに押しのけて、激興する宮川と膝を合わせた頭山満は静かに平然と言った。
以下原文のママ
「俺達は生死を共に誓った誼みによって忠告に来て遣ったのだ。
貴様がその情義を忘れて、暴力に訴えてあく迄も非違を遂げようと云うならば三人は要らぬ。
俺一人で貴様を柔道ゴト掴み潰して呉れる。玄洋社の恥を一掃して呉れる。
無駄なことは云ふな。ただ、それだけを俺の前で云ふて見よ」
宮川は黙全として低頭したまま暫く何も云わなかったが、やがて手を突いてタツタ一言云つた。
「俺が悪かつた!」
嗚呼、男の純情とはまさに是!(ここより馬太郎の談です。)
あの頃、みんな若く、貧しかった。
まるで玄洋社って暴走族か青年団かボランティア団体だな。
「俺が悪かつた!」なんて、みんあ今言えるか!
私はこの件を読んで、泣いたね。(よく泣くオッサンだよ)
玄洋社とはこういう集団でした。
右翼も左翼もない。時代は明治初頭であります。
イラストは山本峰規子さん。もろ肌脱ぐということで使ってしまった。残りは、、、。