天才たちは発明だけではなく宗教家としても誕生します。
ただ、現在の宗教と認識されているものとその開祖にあたる天才たちとは、
微妙なズレがあるのではないかと私は考えちゃう。
たとえば、親鸞が生んだ浄土真宗は後の本願寺光佐(顕如)によって飛躍的な拡大を遂げます。
開祖にあたる天才たちはひとつの哲学者なのかもしれません。
それを布教して拡めなければ宗教としては確立できない。そこに宣伝者が必ず必要とされる。
それは人だったり、教会だったり、国家そのものだったり色々ですね。
上の変な顔のオジサンは出口王仁三郎。
あの可哀想な出口なおの娘と結婚して大本教を体系化して拡めた、天才です。
かなりインチキ臭のある人物ですが、天才だな。やっぱり。駄洒落も天下一。
ちょっとした勇み足で国家から迫害弾圧を余儀なくされます。
世直し建て直し、世界の宗教は同じ根から発しているという万教同根思想を引っさげて、
中国満州モンゴルから太平洋の島々まで進出していきました。すごいエネルギー。
大本教の善し悪しは別として、この王仁三郎は最初は一匹狼の侠客だったのですが、
ある日きましたね。やっぱり、ビリビリビリじゃあないですよ。何?
天狗です。
彼は京都の亀岡出身ですが、関西地方には天狗多いんですかね。
鞍馬山、生駒山系、紀州熊野などなど天狗様の故郷なのでしょうか。
天狗って私は赤ら顔で鼻の高い白人かと思い込んでいました。「のだめ」の竹中直人ね。
以前、「明治という時代が生んだ「天才」といわれる人たち」で
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/9515116.html
南方熊楠が天狗に導かれた話をしましたが、同じシチュエーションで王仁三郎にも来ました。
御免ください。天狗です。「さ、君行こう」ってな感じで背広着てたそうですよ。
王仁三郎は別として南方熊楠は嘘言わない気がするのは、多分偏見ですかね。
天才には色々な種類があります。天狗様の訪問もひとつの道だと記しておきましょう。
さて、21世紀は宗教と哲学の時代だと知人が言ってました。
それはそうとして、人間が良かれと思ってはじめた信仰の志。
けれども民族紛争同様に、その宗教自体が争いのタネになってしまう。
なぜ? そこに利権が絡んでいるからです。それだけ
何事も最初は良かれと考えて誕生しますが、人間の手に触れてしまうと邪悪に変ずるのか。
そうではなく、その人自体の問題であると、私は思いたい。