人物考察のひとつのヒントとして、光のあてる角度とその陰影をあげました。
もうひとつ、その人物が誰と付き合っていたかも重要なヒントになります。
「類は類を呼ぶ」ですかね。
最近はそれを利害云々というファクターだけに突出しているようです。
それを否定はしませんが、そればかりの切り口では稚拙で本質を見失うことにもなるかもね。
さて、天才・ルソーが著した『社会契約論』は中江兆民によって部分訳『民約訳解』として
自由民権運動の礎となった。と紹介しました。
実は頭山満と玄洋社も杉山茂丸の出発点もここから発しています。
彼らは福岡県人として、民権派で、打倒藩閥政治を唱えていました。
ところが、ある時期から一転して、その行動理念は対極に位置するのです。
玄洋社は内相品川弥二郎の大選挙干渉から国家主義的な政治団体へと変身します。
その頭山と中江兆民が大の「仲良し」だったというのが世の不思議。
頭山に中江を紹介したのは来島恒喜だったそうです。
来島は玄洋社社員で後に大隈重信爆破テロ事件を起こして自死する人物なのですが、
若き来島が例の「訪人癖」で全国を行脚して見いだしたのが中江兆民だったのだそうです。
そして二人は大阪でご対面。で、中江の方が頭山に一目惚れしてしまった。
大酒飲みの中江がニコニコしながら酒をあおって怪気炎を発すれば、
まったく酒の飲めない頭山がニコニコしながら黙って頷いている。この図、想像できますか?
主義思想のまったく異なる二人の友情は生涯、そう、中江兆民が癌を発症し、
著書『一年有半』を残して、明治34年に死去するまで続いたのでした。
この「東洋のルソー」と謳われた兆民先生はなかなかの気骨のある民権指導者です。
その逸話をひとつ。
今日もまた、兆民先生はお茶屋で大酒をあおって上機嫌です。
なんせ、土佐出身ですから酒は強い。
酒の座興にと、おもむろに褌をずらすと中から己の金玉、あ!失礼。陰嚢を引っ張り出して、
そこに、なみなみとお酒を満たします。
「さあ、これを飲め」
いやあ、世が世なら大ひっしゅくでセクハラどころの騒ぎじゃあ、ない。
ところが言われた相手の芸娘もなかなか強者剛の者で、有難く飲み干したという。流石!
そして、ご返杯をお願いしとう御座いますと言う。
もう兆民先生はニコニコ大満足。うんうん、いいよお~っ。ですな。
そして用意された煮えたぎった熱燗の酒が兆民先生の引っ張られた金玉、いや、陰嚢に注がれる!
ぎゃああああああああ!ちっちちち。。。。
哀れ、中江兆民もこれには「参った」と降参したそうです。
明治人って、こんな おバカでチャーミングな人たちがいっぱいです。
写真の兆民先生は http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/nakaetyouminn.htm
から拝借しました。
実はこのキンタマの話をしたっかのです。
ヒッポさんは知っている、ルソーからのいや~あ長い枕でした。