あかんたれブルース

継続はチカラかな

テレビドラマの御都合主義が現実を凌駕する?

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その十戒の根元は「テレビ」にある?か?(2)

 けんぞうさんのきつい取り立てがありました。気を取り直して続けます。
 さて、ドラマでいう時代劇アクションもの。コマーシャルと天気予報を引いて45分一話完結。
 勧善懲悪で毎週ハッピーエンドでまた来週。

 だいたいレギュラーメンバーは決まっていますが、毎週ゲストあり。
 悪役は山形勲とか八名信夫とか相場は決まってますが、そうでないゲストあり。
 中途半端な役です。悪玉なのか善玉なの分からない。
 ミステリー劇場ならだいたい役者の格で犯人だと察しはつきますが、格も微妙。
 で、こ奴が余計なことをやると最後は必ず殺される。その犯人は放送作家だ。
 刑事物ならよくて懲役ですが、水戸黄門なら風車の弥七の身代わりで火縄銃で背中を撃たれる。
 要は作家がドラマの狂言廻しに使うのですが最後は持て余してチョンです。
 だいたい必ずラスト5分前に必ず殺されます。ま、御都合主義なんですが。

 ああ、やっぱり死んだなあ。余計な事はするもんじゃない。桑原桑原
 そして、私達は内職の草鞋作りに勤しむのでした。(誰?いつの時代?)

 まあ学園モノでその週に脚光を浴びても翌週は無断転校して行方知れずというやつですね。

 これを「キーハンターの法則」といってマサチューセッツ工科大学では「ゲームの法則」同様に
 重要なカリキュラムなのだそうです。(ウソだよね)
 では、余計な事とは何か。
 暴飲暴食、性行為、プロフィールとしての殺人等の犯罪や視聴者倫理を逸脱する行為です。
 で、この視聴者倫理とは映倫とは別に組織の実体はありませんが、確実に存在する。
 この戒律を知らなければ放送作家としては食わせ者です。
 元々は作り手側が構築したものですが、やがてその呪縛に翻弄されていったそうです。

 日本民族騎馬民族と農耕民族に大別するのは太古の話。(そんなに古くはない!
 いまでは共同体の意味合いこそ消滅しましたが完璧な村社会であることに変わりはありません。
 「よけいなマネするもんでネエ」
 「バチあたるダ」
 の罰(バチ)の正体がこれで、新たな世間知は此処から発した疑いがあります。
 人情など凌駕してしまったのですね。
 人情も下町が付くとOKですが、杉並や世田谷じゃあ鼻で笑われます。

 (主旨としては)
 生徒「オラ世界史勉強したダ」
 先生「よけいなコトするもんでネエ、受験に関係ねえベ。バチあたるダ」
 に、つなげたいのですが、遠いですね。長い目で見てやってください。
 
 まあ「水戸黄門の法則」でも「はぐれ刑事純情派の法則」でもいいのですが
 権威主義と誤解されるのと言い辛いのとでTBS土曜9時の定番だった「キーハンター」だな。
 「太陽にほえろ」だとレギュラーが殉職するのでダメだそうです。

 そして、みんな他人と距離をとる生き方を選んでいったのです。
 大人の倫理観にすり替えて

 引き続き、平岩弓枝から橋田壽賀子
 若しくはトムとジェリーの進化論
 あるいは「巨人の星星一徹の誤算 (都合によって番組が替わる場合があります)

参考)
http://homepage2.nifty.com/g75/k/keymem1.htm