あかんたれブルース

継続はチカラかな

謝るという事と感謝の薄皮一枚

 ごめんなさい。
 月夜の晩でないと人間はなかなか素直になれないとみゆき嬢は歌います。(「悪女」より)
 それでも、日本人はまだ素直な部類で、そういった環境に育った民族かもしれませんね。
 アメリカ人はなかなかそれを認めない民族なのだそうです。
 自分の非を認めることが尊厳やプライドを傷つけるのだと何かの本に書いていましったけ。
 中国人もそうです。それを言ってしまうと解雇されてしまうからだそうです。
 なんか悲しいなあ。

 同じ言葉でも「すみません」と「ごめんなさい」では少しだけ差があるようですね。
 オフィシャルかプライベートかは別として、
 今度、試しに、仕事先のあのガミガミクライアントに使ってみましょうか。
 「ごめんなさい」って。
 余計に事態が悪化したりして、まあすべて実験ですから、それ以上悪くなることもないでしょ(笑)。
 
 自分の非を認めないスタンスもグローバル社会やら訴訟や交渉には必要なのでしょうね。
 なんか辛い世界です。
 これを鬼の首でもとたかのように「現実は厳しい」と胸を張る者あり。
 確かに現実は厳しいけれど、自分で自分の首を絞めて「くーっ!効く」ってマゾってないか?
 自ら画鋲をふりまいて曲芸を訓練する。ほらこうやれば踏まないと。
 その前に掃除しろ。画鋲まくなよ。
 床自体が今朝の冷え込みで冷たいんだからみんなで集って押しくら饅頭して暖まろうぜ。

 みんな薄い皮膚に覆われて外の事象に傷つきやすく、鎧を羽織っています。
 ある程度の間合いがないと不慮の厄災に傷つくのではないかと用心するからでしょう。
 「すみません」さえもその素材に使ってしまうのかもしれません。
 しばし、鎧を脱いで押しくら饅頭じゃ。
 掛け声は「すみません」じゃなくて「ありがとう」「ごめんなさい」だね。
 おお、結構暖まってきたぞ。