あかんたれブルース

継続はチカラかな

「ありがとう」のさすらい。

 イメージしてください。
 あなたが、もし、道でハンカチを落としたとします。
 それを誰かが拾ってくれて「もしもし、ハンカチ落としましたよ」と声をかけられた時。
 「ありがとう」と応えられますか?

 そんなこと当たり前のことですよね。
 でもどうかした時、なにか不意をつかれた弾みで、はたまた無意識に、
 「すみません」と答えてしまう場合はないでしょうか。

 また、「ありがとう」という言葉の前に
 「どうも」という感嘆詞のようなものがついているのを幸いにか、その紛らわしさからか
 「どうも」と以下省略してしまうことはないでしょうか。
 それだとその後が「すみません」でも「ありがとう」でも構わないので、
 都合がいいのか厄介なのか訳が分からなくなりますね。

 息子が3歳ぐらいの頃でしょうか、オムツもとれたので彼方此方に連れ回していました。
 銭湯にもよく行ったものです。
 そんなある日に、脱衣所で体重計に乗ろうとしたとき、何かのはずみでタオルが落ちたようです。
 「おい、タオル落ちたぞ」と地元の初老の方が教えてくれました。
 おっと、と、踵をかえして「すみません」と会釈したのですが、相手は憮然と、
 「なんだバカ誤ってどうするんだよ」と吐き捨てられました。若干カチンときまいたが、
 まあ、後々考えてみれば、爺のいうのには筋が通っている。
 下町にはまだ筋が残っているようです。
 以降、「ありがとう」って言葉の所在を考えるようになりましたかね。

 「ありがとう」は「有り難う」と書きます。
 意味的には「有り得ない」出来事に対しての感謝の言葉であると聞きました。
 この世の自然のなかで有り得ない恩恵や福音に接したときに用いる言葉だったのでしょう。
 人間の世界は世知がない「渡る世間は鬼ばかり」とはいうものの、
 「有り難う」という言葉を発する場面は結構沢山あります。
 子供には、挨拶をしなさい。とか、ちゃんと「ありがとう」と言いなさい。とか、
 言ってるくせに、どこかで恥ずかしがったりレテたりして、それを省略したり、
 「すみません」と一歩引いてしまっていたんでしょうかね。
 
 また、有り難う有り難う有り難うと発することはそういう幸運の洗礼を沢山受けている。
 と、いうことであって、何かとっても奇跡に祝福されているみたいですね。
 間違っても運を小出しに使って宝くじが当たり難くなるなんて思わないこと。
 こうやって、運は自分で引き込むんです。麻雀やってると分かります。

 見かけはガサツな酔っぱらい風のいけ好かない爺でしたが、
 もしかすると一瞬神様が乗り移って、言葉の意味を考えさせてくれる機会を与えてくれたのかも。
 四十になる手前でしたが、何とかそれから意識してでも「有り難う」と言うようになりました。
 訓練もあるんでしょうね。今は、自然にはっきりと発音できますよ。
 出会い頭でも不意を突かれてもポケットテッシュを手渡されても、応えは「有り難う」。
 糞爺、有り難う。