「のだめカンタービレ」のエンディングで使用されている「ラプソディーインブルー」が人気です。
作曲者はジョージ・ガーシュイン。
私はどちらかというとミュージカル『巴里のアメリカ人』の印象が強く、
もともとクラシックやジャズには疎いせいもあって、最初ピンときませんでした。
昨日、ガーシュインの生涯を描いたドキュメンタリー作品を鑑賞して、
少しだけ点と線がつながった感じです。なんか花粉症の鼻が通ったみたいですっきりです。
『ジョルスン物語』という映画が好きでした。
アル・ジョルスンという歌手を描いたミュージカルです。
ブラックマン。白人が顔に靴墨を塗ったくって黒人風に歌うのが流行っていたんでしょうね。
その舞台美術の華やかさと共にすっごく印象的な映画でした。
アル・ジョルスンは一時も歌っていないと気が変になる変な人でしたが、、、。
(ガーシュインもピアノをいつも弾いていたそうです。変ですか?)
アルが歌って大ヒットした曲(劇中でも当然歌われる)「スワニー」もガーシュインの曲。
なるほど!そういうことか。と。
そして、『巴里のアメリカ人』のジーン・ケーリーの大奮闘!
どうも破天荒な曲調なんですかね。あれが耳について離れません。
ロシア系ユダヤ人の子供だそうです。
1890年にアメリカにやって来たといってましたかね。父親がですよ。
なんか『血と骨』のバカ親爺みたいなシチュエーションでしたが彼の父は立派な父親です。
アメリカ行きの船上から若き父の帽子が海に飛ばされてしまいます。
その帽子には唯一アメリカでの頼りにすべき知人の住所が記されたメモが挟んであったのに。
日本は日清戦争直前ですかね。
当時のヨーロッパでユダヤ人差別が一番過酷だったのがロシアです。
アメリカで同じユダヤ人女性と出会い結婚。兄アイラが生まれ、1898年にはジョージが誕生。
ユダヤ人は教育を重視する民族です。
貧しいながら両親は兄にピアノを買い与えましたが、兄は文学に興味を持っていて、
そのピアノは弟のジョージ・ガーシュインが弾くことになります。
後に二人は作詞家と作曲家として数々の名曲を世に送るのでした。
ガーシュインは天才肌で30分、いや時には10分で作曲したとか。
母親似で闊達な社交好きだったそうです。
迫害からアメリカに逃れたガーシュインの父親。
ジョージ・ガーシュインはこの地でジャズと出会い名曲を生み出しました。
迫害が生んだ天才。皮肉なものです。