昨日のクリスマスの話の続きをRAAの話につなげます。
昭和20年8月28日。日本は敗戦をむかえました。
そして、マッカーサーと共に大挙して進駐軍がやって来ます。
それまで、一億総玉砕と叫んでいた国です。
その瞬間に考えたことは、日本女性の貞操を守るということでした。これ、笑えますか?
RAAとは特殊慰安施設協会の略です。
銀座七丁目に本部を置き、占領軍相手の売春婦という項目は記載されずに、
ダンサー及び女子事務員の募集要項で若い女性を集めました。
発足準備をしたのは内務省官僚。資金は大蔵省から出て、その主計局長は池田勇人。
当時、東京は焼け野原。
被服、食料、宿泊付の条件に家を失った女性が千人を越える行列を作ったそうです。
第一日目から自殺者が続出したそうです。
彼女たちのほとんどが素人の女性だったのです。
玄人女性は既に時前で喰っていけてましたし、女郎部屋から勝手に応募はできなかった。
しかし、そんなことアメリカ軍は頼んではいない。
これには東京都も協力しての国家的な余計なお世話というか、念の入った老婆心だったのです。
でも、日本女性の貞操を守るのには効果はあったと認めますよ。
そのために人身御供になったのが彼女たちです。
風紀が乱れる! ということでRAAは即日解散、彼女たちは施設への立ち入りを禁止されます。
でも、どこへも行くところがない。
こうして、銀座、有楽町、新橋に大量のパンパンガールが登場します。
そして、彼女たちの中から姉御肌の女性が誕生して、飲食店を開業していきます。
これが銀座の女性のルーツでした。