児玉源太郎の本質(3)
と、熱弁をふるわれた桂太郎は、
「児玉、よく言ってくれた・・・親友なればこそである・・・
君と僕は幼少の時から実に艱難を共にしたぞ。ここでまた一緒に死のうヨ・・・
それでお互いは実に好い心持ちじゃぞ」と言ったそうです。
その言葉になんの応答をしめさない児玉を杉山はいぶかり顔を見ると、
その鼻髭と顎髭とに銀丸のごとき涙が二ツ三ツ落ちかかっていました。
それがゆえに児玉は返答ができなかったんですね。
しばらくして、調子っぱずれの声で児玉源太郎は言います。
「桂、奥州征伐(戊辰戦争)で死ねず・・・熊本城(西南戦争)で死ねず・・・
陛下の御馬前で共に死ねるのじゃ、愉快じゃぞ」と。。。
杉山の『俗戦国策』のこの後のくだりでは、
桂を愛嬌たっぷりの大黒様。児玉を小男のチョロチョロ貧乏易者と表し、
二人の声の結合に言いしれぬ感動を残しております。
桂太郎は「ニコポン」とも「サーベルを吊った幇間」とも渾名された人物。
「ニコポン」とはニコニコして、ポーンと相手に肩を叩く癖から、
「幇間」とは太鼓持ちのことです。世間知に長けたお調子者という評価ですね。
でもね、桂はそんなデタラメな奴ではないですよ。
児玉に比べたら少しおちますが、(笑
いや、児玉も杉山も桂も現在の尺度で計れば大馬鹿者かもしれませんね。
立派なお馬鹿さんです。(拍手喝采
明治とは、こんな大馬鹿者が少数ですが存在した時代です。
その何人かが日本を救ったのです。
エリートや賢い者では国家は救えない。無私になれる馬鹿者が必要なのでしょうねぇ。
昨年の読売新聞の特集では、
鈴木貫太郎を戦犯としていましたが、それで話が収まるのならそれでもよろしい。
けれども、どこかで、誰かが、そんな貧乏くじを敢えて引く馬鹿者こそ鈴木貫太郎であった。
と、認めてあげればと思う次第です。
歴史を教えない教育。学ぶことに価値を見いださない社会。そして、私たち日本人。
自らの作品に性悪説で臨むジャーナリスト出身の作家。
児玉の暗殺説と杉山・後藤の黒幕説はまた機会があれば、論破します。
少しコアな記事でしたが、児玉源太郎の生の言葉から、
その人となりての姿勢を感じていただければと試みに綴ってみました。
写真上が桂太郎。
下は3枚連続で児玉。体が小さくちょこまかと動き回るところから「木鼠・リス」の渾名です。
しかし、貧乏易者って、杉山君酷いよ(笑+涙=感動した!