以前、お話したと思いますが私の実家は萬屋をやっていました。
扱うモノは駄菓子から食品、文房具、ちり紙、洗剤、裁縫セットなどなど何でも。
ちょっとした小型デパートの総合商社です。貸本もやっていた。
だから私はお菓子やジュースやアイスクリームは食べ放題。
もちろん、親の目を盗んでですが、おかげで物欲のない少年になりました。(ホントか?
さて、アイスクリームやコーラなどのジュース類はいいんです。
菓子パンとか牛乳(コーヒー牛乳)なんかは生モノですから賞味期限があります。
これ、一度仕入れると返品はきかない。
従って、商店の子供たちの宿命として、古い順番に食さなければいけない。
傷んだものを食べる必要はないじゃないか。捨てればいい。と思うでしょう。
でもね。
時は昭和40年代。「三丁目の夕日」の時代です。今と比べちゃダメよ~お。
また、私の母親は昭和3年生まれ。
大東亜戦争と終戦のどさくさの物資の無い時代を経験した強者です。日本は貧しかった。
「捨てるなんて、そんな、もったいないことはできない」
で、少々カビの生えたパンは包丁で削りとって食卓に出る。
少々だったらいいのですが、なかには噎せ返る奴もある。
小池一夫の時代モノの劇画にお毒味役の少年の話がありましたが、まさにあれ。
「母上、これはちょっとマズイでどすこい」と緊張感漂いましたねぇ。
でも、ちょっと卸の見込みを間違うと冷蔵庫には貯まる貯まる牛乳とコーヒー牛乳。
だから、今でも食品の危険と安全は一発で分かりますよ。お毒味役でしたから。
当然、母親も食べますよ。率先して。
飲めない腐った牛乳は庭のイチゴの苗に肥料がわりにあげていましたね。
ニシンが肥料とされていたならば、賞味期限切れの牛乳は肥料にならないのでしょうか。
そのまま捨てれば海を汚すのでしょう。
まあ、そんな悶絶与太話をネタに女のコを笑わせていたと思ってください。
ある時、ある女性が、ああ、私もあるな。と。傷んだ牛乳の話です。
「ええ、お店屋さんだったの?」
「ううん、そうじゃないけれど。配達される牛乳って、よくたまるでしょ」
「そうだね、ついつい。でも無理して飲むことないじゃない」
「私が飲まないとお母さんが飲むから、、、。」
沁みたな。
これ、妻じゃないよ~ん。