あかんたれブルース

継続はチカラかな

ゴミとするか 資源とするか

ウ○チの第三章(北京編)

 浅田次郎の『蒼穹の昴』では糞拾いの少年が主人公でした。

 感動した(涙)。

 舞台は中国、清朝末期でした。

 司馬遼太郎の『坂の上の雲』にその少し後、日清戦争前の北京の描写があります。
 いま本棚に探しに行ってきますね。(・・・暫し時間が経過)

 第2巻39頁に小村寿太郎が清国観察として、北京の街をこう評しています。

 「その往来の不潔さは、ききしにたがわぬもので、みな道路上に大小便をし、

  臭気ふんぷん。しかし彼らは習い性となっているから平気である。

  小便はいたるところで河尾なし、また池をなす。 (と。さらに、)

  ながくそこ止(とど)まらず。(←洒落じゃない。長い糞じゃないですよ。念のために

  その大便は、豚、犬、人の三つのものがたがいにあらそってこれを片づけてしまう。

  人は犬を逐い、犬は豚を逐い、たがいにおのおのの獲物の多からんことを競争す。

  犬は狡猾である。子供が路上で大便をするとき、そばでそれを待ち、

  終わればたちまち食ってしまう。人は犬を追う。」


 人間は犬の大便をすくいとり、市外へ持っていって肥料として売るのだそうです。
 エコな都市循環のシステムかなんなのか、さっぱり分かりませんね。
 臭くて汚くて不衛生なことは確かです。
 これが120年ほど前の北京です。

 何が言いたいかと?というと、
 ウ○チは立派な燃料や肥料であって、資源でした。

 私たちは100年前の環境には戻れません。
 けれども何かの手立てを考えなくていけない。
 自分のケツは自分で拭いて片づける。コラコラ何処に片づけるのじゃ?



 止まりませんね。

 引き続き、白土三平編、「光る風」編、アウトドア編、洪水編などお送りしたいのですが、
 食事時になってしまいました。
 続きはまた、来週。 サヨナラ サヨナラ サヨナラ