あかんたれブルース

継続はチカラかな

男は男なのに男に恋いこがれて死んで往く

 任侠団体の正月事始めは前年の12月に行われます。
 そのときのキャッチッフレーズは
 「男で生きたい、男で死にたい」

 男って、なんで男にこだわるのか? というかまだ男は男じゃないみたいですね。

 男って何?

 会津藩をオーナーとした新撰組を思うと、柳川組に似ているなあと思ったりしていました。

 柳川組とはかつて三代目山口組が全国進出を敢行したときに「殺しの柳川」と恐れられた
 在日韓国人朝鮮人を主体としたした戦闘集団です。

 初代組長・柳川次郎(梁元錫)と参謀で行動隊長だった谷川康太郎が
 新撰組近藤勇と土方歳蔵にダブってしまうからです。
 近藤、土方、沖田総司は多摩の農民の息子でした。
 武士ではなかった。

 以前もお話しましたが、幕末の頃の日本全土に大カルチャーブームが起きていました。
 数学、天文学、地学、洋学などなど。そこに剣術もあった。

 彼らはその剣の腕で武士になろうと考えます。
 近藤の場合は一国一城の主、大名になろうとした。時代錯誤は別として

 会津が隠し子から藩を起こし、養子が家訓を守ろうとしたように、
 武士でない者が武士になろうとして、武士を貫いたというところがポイントです。

 男が男であろうとするのもこの辺りに由来するのではないか?

 柳川組は日本人ではありません。
 柳川次郎や谷川康太郎が日本人になりたかったわけではありませんが、
 差別や社会的に不利な環境の中で、彼らがその地位を獲得するのには暴力しかなかった。
 自分の誇りを獲ようとしたことは確かです。「実力世界」で

 当時の山口組には5つの軍団がありました。
 1)地道道雄の地道組 2)安原政雄の安原会 3)小西音松の小西一家 4)菅谷政雄の菅谷組

 そして、柳川組。
 全盛期には全国傘下73団体。構成員1690名を越えたと言われています。

 けれども、警察当局の山口組壊滅作戦によって拘束された柳川次郎は、
 留置所から解散声明を出してしまう。二代目を継いだ谷川康太郎も結果的にそれに従う。

 激怒した山口組三代目田岡一雄はこの両名を絶縁処分とします。
 絶縁とは稼業世界で最大の処分です。

 一説には柳川次郎の解散の動機は、新聞に掲載された同胞の少女の投書と言われています。

 「同じ在日韓国人として柳川組の悪名が恥ずかしい」

 柳川次郎は終戦直後に家族と一緒に祖国に帰るはずでした。
 出発の前夜、彼は下関のヤミ市で地元の愚連隊と喧嘩になり拘束され、
 取り残されてしまいます。天涯孤独。
 彼を支えていくものは己の実力しかなかったのです。
 そして、誇りを持ちたかったのでしょうかね。

 会津藩と任侠団体。そして、柳川組には「なりたい」男の意気地があったのか。