愛の存在から「男と女の友情」について、でした(汗)。
マジメ語ります。
もともと音夢嬢のブログ記事での問い合わせです。
そこで何やらワイワイガヤガヤやってましたところ、風のおかあさんからズッパっと、
「男と男の友情はあるだろうけれど、女同士にそれは無い!」
との鉄槌が飛んできたから、さあ大変!
熟練の女性からの発言です。深くて重い
でもね。これって、非常に考察のヒントになる。
男-(友情)-男 = ○ 女-(友情)-女 = ×
男-(友情)-女 = ?
なんで、男同士だったら友情はあるんだろう?
もしキーマンが「男」だったら「男と女」の友情もありえますよ。
へへへっ。愛の考察もそうですが、愛情にも友情にも「情」が含まれていますね。
プラトニックを指す? いんや「交情」なんて情けを交わすとSEXを意味するかも。。。
男同士だって昨日の凡例からも決して純粋だけではない。
歴史的に考察すれば上杉謙信の武田信玄も信長も御小姓を寵愛したじゃないですか。
また、念友なんて言葉がある。江戸時代は相当に盛んだったんです。
話が横チンいや横道に逸れるので、この話は別の機会にやります。
男同士の友情はなんとなく認知されてしまっているようです。
これは男の性質に「あっさり」と「独立性」があるのではないか?
反対に女は「側にいる」ことが大切で、疎遠は決別を意味する? (個人差はありますよ)
もっと斬り込めば、
男は戦って死ぬもの。女は子供を産んで育てるもの。
という役割があるのではないでしょうか。
ここで差別だという指摘はちょっと待ってね。ひとつの考察の手段ですから。
昨日、ポケちゃんは生物学的に 男はXY 女はXX とコメントしてくれました。
だから、女の方がバランスがいいのだそうです。いいコメントだ!
これは中国の陰陽学における、男(+ 陽 ) 女(- 陰 ) と同じです。
↑凸 ↑凹 としてもいいでしょう。
結婚とその行為を 凸+凹=■と考えるのいいでしょう。お互いが補って生きる。
別な視点で陽は奇数で陰は偶数と考えます。
そうなると男は凸で女は□となります。
男は未完成な生き物でその生涯で足すか引くかしないと□にはなれない。
つまり、完成されないと考えるようです。
昨日の「男で生きたい。男で死にたい」というスローガンはここから発せられたものですね。
完成された女は「女でどうこうなんて」考えない。その必要がなくて、もっと現実的です。
一方、男は現実以前に理想と夢を追います。
そして、独立精神をもってそれを実現しようとする。
女性との性差はここにあるのでしょう。
男性は理想をもとめる「個」に集約しようとします。
「個」と「個」のつながりなので相手を尊重しますから疎遠も気になりません。
女性は完成された己を保つ共同体をもとめます。現実的な。
女性は共同体が出発点ですから村から立ち去った者は抜け人として部外者になってしまう?
さあ、どうでしょう。個人差はあるとして、友情の是非は何処へ