あかんたれブルース

継続はチカラかな

忍ぶ恋と男女の友情

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 先月途中から「男と女の友情はあり得るか」の考察を展開して来ました。

 私はある。と思うし、その前提で積み上げて来ましたが、
 いったん、ここで天日干し発酵させます。

 中間報告として、私の考えを掲載します。

 私がある。とした「男女間」の友情には、ある注文(競馬で言えば展開の注文)が付随します。

 天気が良くて、為替が120円以上で、来週末は三連休が待っていて、
 朝のウォーキングで百円拾って、ブックオフで買った百円本が意外に拾いモノで、
 定食屋でだされたお茶に茶柱が立っていた。というような条件が揃った場合。

 男と女の友情が成り立つ。といったような(意味不明かな?

 環境的な時期(年齢)的な、双方の事情や意識や、資質。そして、バランスが必要です。
 この緊張感と感情が天秤ばかりが同じ比重で保たれていないといけない。

 永遠という注文も付随している。
 (女と女の友情はたとえレアケースでも凡例一本で立証できたんだけど。。。)

 男女の愛でさえも儚いものなのに、友情に対しては最初から「永遠」がないと認められない。
 「分が悪い」んだよなあ。

 それを否定する意見の人には良識があり、躊躇する人には思いやりがあるようです。

 それを求める人には苛立ちがあり、自己愛に満ち溢れている。

 こうなると、どっちでよくなってきた。というのが本音です。(待て)
 愛の確認作業のほうが先決なのかもしれない。とも思えてきます。

 それでも、一番いい凡例はないかと考えあぐねて、、、。
 明治であれば、横浜「富貴楼」のお倉と「天下の糸平」田中新八のお話がいいかなと。
 これは昨年から「いい女列伝」のひとつで取り上げようと思っていました。
 お倉の生涯を通して色々とお伝えする事もあります。

 少し、長くなるので、機会をみてアップさせますね。


 男と女の友情について、ひとつだけ。
 それは存在するでしょう。けれど、口に出してはいけないようです。
 禁断というか、外気にこぼれると消えてしまいそう。
 「葉隠」でいう忍ぶ恋に似ている。

 ここで立証させた途端に嘘になりそうです。
 だからしばらく、放って、置かせて