あかんたれブルース

継続はチカラかな

シークレット・サンタの陰徳

 テレビ番組の話で恐縮ですが
 先日、「アンビリーバル」で“シークレット・サンタ”というのを放送してたそうです。

 私は風呂入っていたので観てないのですが、妻から話を聞きました。
 正確には最後の関根勤のコメントだけ聞きましたかね。

 米国の話だそうです。
 ある貧窮した男が商店に盗みに入る。
 それを察した店主が哀れに思い、わざと店内に20ドル紙幣を落とした。
 男はそれを拾って、悪事を断念して店を出ます。
 そして、それが店主の情けであったことを悟る。

 男は猛烈に反省しました。

 それから数日後、この男は困っている女性と遭遇します。
 まるで先日の自分を観ているようでした。
 男は、ポケットからあの20ドル札を取り出すと彼女に渡しました。
 この女性も相当に貧窮していたんでしょうね。
 はじめは困惑していましたが、最後は喜んでそれを受け取ったそうです。

 その喜ぶ姿を見た男は「これだ!」と思ったのか、なんなのか、
 私観てないので少々怪しいですが(汗)。
 銀行に行って全財産100ドルをおろすと、20ドル札5枚に分ける。(しかし少ない全財産)
 変装して、町中で困った人を見つけると、渡したいったそうです。

 姿は明かさず。
 その日はクリスマスだったそうです。

 男は、毎年クリスマスになると20ドル札を渡すようになりました。

 あるものはその20ドルで娘にクリスマスプレゼントを買うことができると喜び、
 また、ある者は「今日はまともな食事ができる」と満面の笑みを浮かべました。
 みな貧しく困っている人たちでした。
 小さな町ではそれをシークレット・サンタと呼び、不思議がっていたそうです。

 男の正体を最初に見破ったのは彼の妻でした。
 たまたま町でシークレット・サンタを目撃した彼女はその後ろ姿に見覚えがありました。
 彼女は男の背後に近づくと、

 「ラリー、あなたなの?」と声をかける。

 ふり返ったのは男は変装した彼女の夫・ラリーでした。
 ラリーは謝ります。
 「なぜ謝るの?」
 そう、二人の家庭はまだ貧しいままだったのです。
 それでも妻の理解のもとにラリーのこの慈善という道楽は毎年続けられました。

 不思議なことに、こんなことを続けていく事と、それに平行するように、
 二人の生活は豊かになっていきます。
 新しく起こした会社も順調に稼働していき、二人は家をもつほどになります。
 
 毎年、シークレット・サンタは現れます。
 けれども、誰もその正体は知らない。

 町の人たちがその正体を知るのはラリーが天に召される数ヶ月前でした。
 彼は病に冒され余命幾ばくもないないことを医師に告げられていたのです。
 その年、最初で最後のラリーというサンタが町に現れました。

 ラリーは天に召されました。


 お話を紹介するのに長くなてしまった(汗)。

 陰徳の話です。

 欧米、つまりキリスト教徒の世界では寄付が盛んです。
 成功者は寄付に熱心です。

 仏教には陰徳という教えがあってその善行が知られると効力がなくなるとも言われます。
 一見、仏教の方が奥ゆかしいようですが「効力」がないというのは
 やっぱり効果を期待している。のかな?

 で、私が注目するのはラリーが自分の家庭は生活が苦しいのに
 施しを与え続けていたら、自分自身の生活も豊かになってきたという点。

 だからと言って、寄付すればお返しが必ずあると言っているのではないですよ。
 それじゃ、陰徳にはならない。
 それじゃ、不埒で、不純で、単なる投機です。しかも無計画この上ないかも。

 じゃあ、これじゃどうかしら

 「天は自ら助ける者を助ける」(西から)
 「因果応報」        (東から)

 この世の法則として