あかんたれブルース

継続はチカラかな

『シェーン』に学ぶ平凡と乱倫の幸福の行方

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 懐かしついでに『シェーン』いきます。

 叙情的な西部劇の代表作。主演のアラン・ラッドのたった一本のヒット作です。
 ビクター・ヤングの主題曲「遙かなる山の呼び声」も名曲ですね。
 同名タイトルで高倉健さんが『幸せの黄色いハンカチ』の続編版も制作されました。

 ワイオミングの小さな家族(夫婦と息子ひとり)のもとに現れた流れ者シェーン。
 寡黙なこの男は拳銃の達人でもあります。
 家族との交流。そして、この土地の有力者と開拓民との争いにシェーンは立ち向かう。
 戦いに勝利して、この土地を去っていく。「シェーン、カムバック~ッ」ってね。

 シェーンを慕うジョイ少年の声がこだまする。
 少年と英雄の話。とは別に、その後ろで熱い視線がシェーンを見つめています。

 この一家の妻・マリアン(ジーン・アーサー)だ。(このシーンは実際にはない。私の妄想ね
 マリアンは確実にシェーンに心を動かされている。
 平凡な日常という平和な家庭の場に身を置いて、立ち去ろうとする情熱のアッチッチ。

 不倫です。

 1953年のアメリカ映画。しかも西部劇ではタブーとされた「不倫」をテーマにしている。
 もちろん、ベッドシーンなんてない。
 キスはあったろうけれど親愛の挨拶程度で舌なんか絡ませない(こら
 告白さえしない。「葉隠れ」でいう「忍ぶ恋」ですよ。
 しかも、もしかすると、人妻・マリアンの一方的な恋か? 
 いや、シェーンだって知っていた。そんなことじゃあガンマンは務まらない。

 しかし、不倫だ。実行は未遂ですが、乱倫というほうが正しいか。

 日本の社会はタテ社会といわれ時代劇などでもそれをベースに描かれています。
 夫婦の関係もそれにあてはまる。不倫・乱倫は例外的にしか描かれない。
 やったら最後は殺されるシナリオだと以前も書きましたね(笑)。

 対して、米国はヨコ社会です。グッドバッドガールや指図する女の土地柄。
 自由の国アメリカならば西部劇にも不倫・乱倫はさぞ多かっただろと思いきや、
 これがまったくなかった。『シェーン』までは

 西部劇はアメリカの国民劇でした。
 日本にも朱子学大義名分があたように、
 米国には開拓(フロンティア・スピリット)という大儀名分がありました。
 インディアンを駆逐する大義名分。それを「宿命」と考えることにしたようです。
 「明白な宿命」として。

 じゃあなぜ?原作にもないこのタブーを盛り込む危険を侵そうとしたのか?

 ひとつはアメリカ社会(家庭)の危機感にあったと私は考える。
 この後、ベトナム戦争という苦渋と敗北感を味わいますが、
 アメリカは豊になった。「怒りの葡萄」とは大変な差です。

 豊かさは幸せなはずなのに、平凡は幸福を許さない?



写真は決闘の場に向かおうとする父親を殴って気絶させ、
一人で敵地に行こうとするシェーンにマリアン言います。
「私のため?」
「いや、君と家族のためだ」 ナイスシェーン