あかんたれブルース

継続はチカラかな

本日はなんてタイトルにしていいか分からない。

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   いったん、中入り。

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 清水一家名称襲名の件から四方山話を展開してきました。
 馬太郎はやくざは批判するのか?擁護するつもりか?
 と疑問に思うでしょうが、どちらでもありません。

 私は最初からこのブログでは「歴史」というファクターで論じております。
 今現在の常識というものの懐疑がベースにある。
 なるだけ主観は抜きにしたいのですが、人間ですからそうもいきません。
 それでもなんとか「歴史」をベースにしていけば道を誤らないのではないかと痛感します。

 よくネタが故に「男の視点」だ「女の視点」だと指摘されることもありますが、
 そのようなものは芝居やフィクションのことであって、社会風潮のひとつでしかない。
 「歴史」はあくまでもノンフィクションであって、事実がベースです。捏造はあっても。

 日本人は「善悪」とか「是非」とかの二極論を好むようになっています。
 マスコミのせいもあるでしょうが、とかくその場の情報に流されやすい。
 差別反対と宣いながら、その流れ流れで差別して、その後の反省もありません。

 やくざを憎悪するのはいいとしても、そこに至る経緯を知らずして
 それをやってしまうと「とんでもないしっぺ返し」が待ってますし、
 賛美しても同じ結果が待っているでしょう。
 戦争にしても同じです。そんなに単純じゃないです。

 やくざは武士を起点に発祥していき完成されて幕末を迎えます。
 ここで尊皇攘夷思想が加わって幕府側と薩長官軍側に別れて戦います。
 やくざがですよ。
 次郎長は官軍側についた勝ち組でした。
 幕府側が悪で官軍が善という訳にはいきません。そこに利害がありました。
 
 と、まあこの辺はおいおい小話として記事にしていきます。

 日本は財政破綻寸前というのに、いまだに土建国家の体質を変えようとはしません。
 やくざと土建屋というのも密接に関係します。出所がイコールに近いかもしれません。
 かといって私はそれを無くせととか談合を0にしろとかは思わない。
 急激な社会変革は今だと百害にしかなりません。

 このブログを立ち上げた昨年5月7日の第三回目の記事を読んでみてください。
 ホリエモン小泉政権とのやくざの関わりあいが記されています。
 この記事のURL: http://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/4214328.html
 先日の六本木の抗争事件もここに端を発しているようです。

 政治や経済にやくざが深く関わっていること。
 それとは別にやくざをそこまで追い込んでしまったのが国家と私たち市民であることも事実です。
 それもあって、先日の清水一家襲名の論調に少し腹が立ちました。
 やくざにではなく業者とか自治体とか地域住民という者にです。
 こういう考え方や主張はムシガイイものなので私は嫌いだ。
 ボール遊びのできない公園もそうです。

 かといって、もうやくざは元にはもどりません。
 元のやくざとは何かというのはまた機会を改めて語ってみたいと思います。