「志」通信(34)
コナンじゃないぞショウナンざグレート。というタイトルにしたかったけど
訳が分からないのでやめました。真面目に続けます。
小楠の言わんとするのは幕末期の日本人の考えとだいたい同じです。
みんな影響されたのがこの小中華思想です。
小楠って名前も楠木正成公から来ているのでしょう。
司馬遼太郎が司馬遷に遙(遼)か及ばずとしたのと同じ。
誰だ?馬太郎が司馬遼太郎遙(遼)か及ばずというニュアンスだというのは?
これは下駄さんからきているんだぞ。
さて、この小楠の提言に真っ向から噛みついた男がいました。福沢諭吉です。
直接ではありませんが迂回して、幕臣の勝海舟と榎本武揚に噛みついた。
罪状は「無条件降伏」とはなんたることか!痩せ我慢がたらん。というもの
幕臣が薩長と真っ向から戦わなかったのが勝算の打算があったというのです。
しかしね、福沢諭吉の言い分も分からないではないけど、20%ぐらいだな。
20点。赤点。追試だ。
この人は変な人です。
変な人、個性的な人はいますよ。この人は合理的な人というか変人です。
決していい人ではない。
彼は言います。
「立国は私なり、公にあらざる」と。
王道だろうが覇道だろうが立国は「私」であり、これを薩長というのでしょうか。
福沢諭吉は立国から国益というところまで見つめているようです。
「忠君愛国」も人間の私情だと。
確かに、昨日の横井小楠の提言に「軍(帝)国主義」を嗅ぎとった人もいたでしょう。
しかし、それは間違いだ。
福沢諭吉は江戸無血開城した勝を、函館戦争で降伏した榎本を批判できない。
そのくせ声を大にしたのは彼らが新政府に仕えたからでしょう。ね!
最近、糞と味噌を同列に論じる傾向があるようです。
こういった白黒を含めて「志」というものについて語るぞ。
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