横井小楠→福沢諭吉 話は続きます。
福沢諭吉はみんなの大好きなお札に描かれている人です。
慶應義塾の創設者。桃介の義父です。
松永や犬養毅や尾崎行雄などが卒業生。
この人は偏屈な人。変人。決して「いい人」ではない。
このブログで「いい人」になるなよ。と書きましたが、かといって、嫌な人になれ。
とは言わない。(←司馬遼太郎調ですよ。格調を感じて(汗)笑うところだぞ!
ヤブニラミでそっぽ向いて人を人とも思わないニヒリスト。
鼻くそほじくって対応する嫌な奴です。
また、その仕草を真似する馬鹿もいる。
松永は「事業家になります!」と志を語れば「風呂屋にでもなるのか」と冷や水をかける。
尾崎が訪ねれれば「君は最近、本なんて書いているみたいだが、どういう了見だい」
尾崎「はい、一生懸命読者にこの思いを伝えたいと、、、。」
福沢「馬鹿だな、奴らはサルだ。そう思って書くんだよ」
これに怒った尾崎はしばらく師との付き合いを絶ちました。
ただ、暫く経って、尾崎は、先生がああ仰ったのは、
1)サルでもわかるように懇切丁寧に書けよ
2)萎縮することなく読者をサルと思ってリラックスして書きなさい
と諭してくれたのだ。と感動してしまう。
尾崎行雄は素直な人だ。好きです。でも福沢の言葉は額面通りなんだな。
尾崎君、きみ甘いよ。
で、福沢が非難した幕臣二人。勝海舟と榎本武揚。
彼らの詳しい話は個別に紹介することもあるでしょうから、その時に。として。
福沢の不満は彼らが幕臣でありながら徹底的に抗戦しないで、維新後は敵側で働いた。
でもさ、当時の幕臣たちはほとんど戦う気力と能力がなかったんですよ。
それでも「痩せ我慢」で武士としての御奉公をやれ。と諭吉は主張する。
そんなことしたらそれぞれのバックにいる英国と仏国が「待ってました」となって
広島の代理戦争だよ。(←「仁義なき戦い」の広島抗争ね。山口組と本多会がバック
西日本は英国領、東日本は仏国、北海道はロシア領だな。
馬鹿じゃないの、福沢諭吉。
ついでに、勝は維新後も幕臣援助に資財をなげうって援助してました。
榎本も箱館戦争の戦友に対して面倒をみています。
責任の取り方の違いだけです。
勝は「実はいやな奴」情報の一次ソースのひとつは福沢諭吉の書簡から。
二人ともそんな嫌なやつじゃないですよ。(長短合わせて総合判断の結果)
可哀想に100年以上たっても二人は諭吉の術呪に汚されている。
だいたい無責任な奴ほど声が大きいものです。
世の中みている者はみている。
相手の声の大きさに負けてはいけない。
写真は斜に構えた福沢君。同級生だったらイジメてやりたくなる。(待て
この記事で彼が嫌いになってそのお札も汚らわしいと思った人。
は~い!
私が供養して差し上げますからご郵送ください。
領収証は出せません。
悪しからず