人生「塞翁が馬」って言葉があります。
これはだいたい不幸と思った事が転じて幸運に変わるという意味に使われやすいですよね。
でも、当然、逆のあります。
乃木希典の場合はすべての出発点がこれでした。
かれは可哀想なひとなのです(涙)。
希典のお師匠さん・玉木文之進という人は松下塾の創設者です。
この三代目の塾長が吉田松陰なのですね。
明治維新という革命は薩摩と長州が活躍して成し遂げますが、
薩摩は鍛冶屋町という下級武士のひとつの町内で、
長州は松下塾という私塾から発したといって過言ではありません。
希典はその創設者の直弟子ですから吉田松陰とは兄弟弟子という関係になります。
(というかこの三人は血縁というか遠縁というか実際に親戚なんです)
明治新政府が樹立すると長州閥で生き残ったのは井上馨と伊藤博文と山県有朋の三人。
みんな松下塾では下っ端の塾生でした。山県なんか塾生だっのかも怪しい。
その山県が一番「松下塾」の権威を利用していました。
希典は彼らよりも一世代下ですが、その血統が素晴らしい!
と、山県は持ち上げる。
それもすべて彼の大切に祭り立てる長州閥の権威のためです。ホント嫌な奴
希典自身は本来潔癖な人なのですが、
知らず知らずに長州閥のプリンスに仕立てられていきます。
これはもう少し先の話ですけどね。
また、この玉木先生は吉田松陰よりも一世代前の人で考え方もちょっと古かった。
考え方は二世代古かったかもしれない。
希典は時代はITなのに
ウサギ跳びを強要されて水を飲んではならいというスパルタ教育を受けます。
熱中症で死にかかりました。素直な子でしたからね(涙)。
質素、倹約、勤勉
もともと武人という体育会系よりも文人になりたくて文系に進みたかった希典なのに、
早稲田で文学を、、、。が、国士舘や日体大への進学を強要されるんです。
しかも応援団というオプション付き。嫌だね(汗)。
そして、希典のストイックな武士道というものが完成されていく。
とても窮屈で古くさくて肌にも合わないものでした。
お試しセットで返品は厳禁。文之進は曰く「私が証明なの」
最初からボタンの掛け違いだったんだなあ(涙)。