あかんたれブルース

継続はチカラかな

サイコー!入社時に部長待遇

ナキトの事情(3)

 それでも希典の文学への憧れは消えません。
 長州の藩校「明倫館」に入学するも、理系文系選択でちゃっかり文系を選択します。
 違った「兵学寮」と「文学寮」ね。乱暴なことは苦手だったんでしょう。

 ときは第二次長州征伐で学徒動員となり希典たちも駆り出されます。

 小倉口で足の甲に被弾して、ビッコになりました。
 希典は長身でイケメンですが、後に妻となる静子夫人は
 「障害者と結婚したは知らなかった」と漏らしたそうです。

 で、明治維新で新政府樹立。

 ここにまた従兄が登場します。御堀耕助という大変優秀な兄さんでした。
 今度、フランスに留学するとのことで挨拶に来た。すかさず、希典君は

 「耕助兄さん、僕も連れて行って、下僕でもなんでもやるから」と懇願した。

 「ばっか者おお! 男子たるもの他人の下僕になるとは何事だ。
  卑屈な態度は武士の恥。だいたいお前はフラフラしてて、いったいどういう了見だ!」
  文人で立つのか?武人として立つのか?どっちだ?

 とガミガミです。希典はこれに弱い。
 玉木のおじさんの時と同様にここで180度心にもない決心を表明します。

 「は、はい! もちろん武人です」とやっちゃった。

 で、伏見の御親兵兵舎に入営してフランス式訓練を学び伍長(主任の下)になりますが、
 ここにいても将校(課長クラス)にはなれない。せいぜい下士官(係長)どまり。
 という噂を聞いて、故郷に帰って教職になります。現金なやっちゃ。

 この学校で知り合ったのが児玉君(源太郎)で彼はそのまま残って、
 卒業すると軍曹(主任)からコツコツ軍人生活をスタートさせます。

 そんなモラトリアムな希典を心配してたのが耕助兄さんです。
 彼は将来を嘱望されたエリートでしたが、結核を患らっておりました。
 死の直前に見舞いに来た薩摩の黒田清隆(後に二番目の首相)に従弟希典のことを頼みます。

 この約束を黒田は守りました。

 明治五年の暮れも押し迫った頃です。
 黒田の推薦で希典は少佐で任官されます。少佐(部長)ですよ。
 どこかの二代目御曹司のようですね。佐官(部長クラス)の上は将軍(取締役だぞ)

 乃木希典は「このときが生涯で一番嬉しかった」と語っております。(気持ちはわかるが)

 真新しい軍服を着て写真屋で記念写真を撮ったりして。(でもちょっと心配)

 取り敢えず、順風満帆。かたちだけは。。。(ほらほらきたよ)

 そして、時代は煮詰まってきまして、日本の内乱は沸点に達しようとしています。
 西南戦争が始まる。

 ここで乃木希典はとんでもないアクシデントに見舞われる。(やっぱりね)


写真にしようと思いましたが、イラストが可愛かったので、つい
http://www2.tba.t-com.ne.jp/o-shura/nogi.htm