あかんたれブルース

継続はチカラかな

渚にて

愛の十字路 第二章(1) ホームルーム

 
 恋愛は数量ではなく質だとして、
 伊庭八郎と小稲のケーススタディを紹介してみました。

 でも、小稲はあの三百両をどうやって工面したの? 
 蓄えがあった? どうやって稼いだの?

 八郎はその金を受け取って胸は痛まなかったのだろうか。


 「人生劇場」の石黒彦一とおきみの場合はあれほどストイックだったのに。

 恋人に客をとらせて遊び惚けた亀さんと横浜「富貴楼」のお倉の場合。

 おそめと俊藤浩滋の場合。

 愛のかたちはそれぞれです。

 その人、その人同士に、機微があり、深い傷みと熱い思いがある。
 他人がとやかく言えるものではありません。

 それでも、すべてを愛とするならば、そこに「貴賎優劣」は存在します。

 この世にある平等は「死」だけ。


 山本周五郎の全集に「無償」という言葉がありました。

 無償の愛

 愛を確認する位置付けに、この「無償」というものがあります。

 血を分けた我が子には、この「無償」という行為が自然に行使できる。

 それを煩悩とか親バカとか謙遜することも知っています。


 男と女

 どこまで無償になれるのだろうか。

 愛を与えるよりも求めてしまう性(さが)。

 理想的「愛」の絶対値は「15対15」

 すこしでもズレてもブレても
 心をは苛まれ、切なさが胸を締めつける。

 愛を成就させたとする結婚でさえも、そのすぐ後には無償とは別な「生活」が生まれる。

 無償は「利害の一致」にすり替えられる。

 
 渚にて

 1959年のSF映画です。

 核戦争によって地球は汚染され壊滅状態。
 わずかに、南半球だけが最期の時に少しだけの時間の猶予を与えられていました。
 けれども、結果として彼らはその悲劇をとめることはできない。
 刻々と迫る最期の瞬間。

 あなたは、その最期のときを誰と過ごしたいですか?

 ようやく無償の愛が成就されようとする

 その時に