スクラップの話(上)
この写真、前にゆたちゃんから借りて二回目の登場です。(ゆたちゃん事後承諾ね)
敗戦から一年以上経った昭和二十一年秋、
呉湾には赤サビだらけの旧日本海軍の艦艇がうち捨てられていました。
ここは旧軍港だった関係で、付近には戦艦「榛名」や軽巡洋艦「青葉」など
大浦崎沖には空母「阿蘇」、戦艦「日向」
津久茂湾内には空母「天城」、戦艦「伊勢」などが
破損された姿のまま波に漂っていたのです。
それ以外にも呉を中心とする瀬戸内海の島々には未使用の弾薬などが
放置されていました。
そういった危険物処理をかって出て、ひとやま当てようとする人間たちもいるわけだ。
播州 荻野一 という人物もそのひとり。
元々は兵庫の特高だったそうです。
特攻じゃないですよ、警察関係者です。警部でした。
利権に鼻かが効くのでしょうかね。
この危険な爆弾処理やらスクラップを扱って大儲けしました。
そして、朝鮮戦争の特需はこのスクラップにも利用価値が高まっていましたからね。
パチンコ玉も重宝してた時代です。
これが映画『仁義なき戦い』の時代背景です。山守組はこの下請けで儲けたんですよ。
私たちが幼い頃、昭和四十年前半までは「地金」っていって、
屑鉄を鉄工所だとかに拾って持っていくと小遣いになったものです。
銅線とか高く売れました(笑)。
最近は資源不足で鉄とか、また高値で売買されてるみたいですね。
マンホール泥棒とかの事件が騒がれています。
どうでもいいけど、この写真の軍艦たちは税金で造られたんだけどなあ。。。