甘茶でカッポレ(4)
生きることがつらい。
よく聞きます。ときには、囁かれたりもする(涙)。
確かに、生きるということは過酷で、つらいものです。そういう仕組みになっている。
たださ、実際に自殺者が年間3万にいわれ、
教育の場で校長が、政治の場で大臣が自殺してしまう世の中も変だよ。
そういうのもあってあの世の約束手形を乱発する宗教に因縁をふっかけております。
この世は過酷だとして、だからといってあの世に逃避する生き方なんて嫌ですね。
19世紀のドイツにニーチェっていう哲学者あり。
その言葉尻を利用されて色々言われていますが、大したオヤジだ。
このひとキリスト教を否定している。
というか宗教でいう「あの世」を否定しているんですね。
そんな救済や往生をあてにしないで、今を生きろ。と
私は大いに賛同しますね。これに異を唱えるひといる?
でもそうはいかない人もいる。年間3万人の信者と予備軍ですか?
じゃあ、どうすんのよ。念仏でも唱えているのか。
アジアやアフリカには生きたくても生きられない人達がいるというのに。
宗教と政(まつりごと)は密接に関係しています。施政者がそれを利用する。
使い方を誤ると原発よりも怖いものです。
それ以上に個人から成り立つ民衆っていうのが厄介なものです。
ちょっと言い方がドラスティックになりましたが、
個々の信仰はいいとしても宗教に対してどうしても懐疑的になるのはこの点。
アフガニスタンにボランティアに行くキリスト教徒。
それを殺害するイスラム教徒。
前者には危険を承知いったのだから殉教も賛美を
後者には一言、恥知らず。だな
ただし、ニーチェのオヤジの了見の狭いところは、愛と情をも否定しちゃった。
それじゃあ意味ないよ。
それがないなら、私も死にます。面白くもない楽しくもない生きてる意味がない。
やっぱりさ、こんなつらい人生だからこそ、愛と情のために生きて死にたいよね。
君という花をみつけた。だから強く生きていくんだよ。君と僕
キザかな。私はそうは思わない。
ビジュアルはひろさんの「健康日誌」より
「睡蓮」の花
美しいものはあの世ではなく この世にあるじゃないか
http://blogs.yahoo.co.jp/bitter_sweets02