あかんたれブルース

継続はチカラかな

自虐とお笑い

甘茶でカッポレ(5)


 人間を二通りのパターンで分けるのが流行です。昔から日本人は。

 騙す人騙される人。使う人使われる人。作る人食べる人などなど

 最近はSとMにパターン分けをしてますよね。

 なんにせよ二極論は発展性を邪魔するようです。

 親鸞の記事で「悪人正機」を出しました。
 ここでいう悪人は自分の弱さ至らなさを知る人のことです。
 親鸞は凄腕コピーライターだ。他に言葉もあっただろうに

 さて、自虐癖のある人は多いものです。ここで少し横道にそれますが、
 自虐と「笑い」に何やら因果関係があるような臭いがしました。

 関西のお笑いはボケとツッコミできっちりMとSの役割分担が確立しています。
 関東のほうはツッコミが主体でしょうか。あくまでも私見ですよ。

 大橋巨泉などは完璧なSでした。たけしは7対3で若干Mも入れています。
 さんまは9対1。タモリはS。欽ちゃんもソフトSですね。寅さんだてM。
 もしかすると癒し系っていうのはMなのかしらん?

 ところで、東日本でも西日本でもない九州は「M」なんですね。(タモリは例外)
 武田鉄矢の論調は自虐がベースでしょ。九州には独特の笑いがあります。

 杉山茂丸の息子・夢野久作の著書「近世快人伝」に福岡人のフグの毒に恐れず
 命がけで食べる蛮勇談がありますが、あんな感じ。自虐の真骨頂。

 この傾向が特に強いのが鹿児島。

 鹿児島ではリーダーとかトップになる条件に文武以外に「笑い」を要求される。
 それは自虐でなければいけません。Sの笑いじゃダメ。

 薩長連合初の合コンで、大久保利通が畳まわしをやり、西郷隆盛が陰毛をロウソクで燃やした。
 これです。この馬鹿げた狂気を孕んでいないと人はついてきません。
 このセンスは長州人には絶対にない。

 いまの若者たちの酒宴の席で繰り広げられる一発芸も、
 その父親たちか若しくは祖父がドジョウすくいを演じたところから
 はたまた明治の薩摩の藩閥政治につながっているのかもしれません。
 手品じゃだめよ(笑)。
 
 そう考えると、自虐もなかなか捨てたもんじゃない。かな
 あんなに優秀だった大山巌も後年は己を空しくすることに務めました。
 彼は西郷さんの従弟です。実弟・従道は真性の自虐大馬鹿者でしたから、
 宴会では常に裸踊り。私が尊敬し目指すのは当然、従道しかありません。

 なんにしても程合いというものがあるので、自虐自体を隠れ蓑にするのはよくない。

 笠原和夫の脚本論に「破れ」というものがあります。
 シナリオの起承転結に彼はこの「破れ」を重視した。
 人生のシナリオを完璧にしようとせずに、この「破れ」を作っておいて、
 ガス抜きをして往くのも一考かと思う今日この頃以前から。

 むずかしく考える必要はありません。二のセンから半分ほど広げるだけ