あかんたれブルース

継続はチカラかな

『ゲド戦記』に寄せて

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甘茶でカッポレ(6)


 夕闇迫る雲の上 いつも一羽でとんでいる 鷹はきっと悲しかろう

 音も途絶えた風の中 空を掴んだその翼 休めることはできなくて

   心を何にたとえよう 鷹のようなこの心

   心を何にたとえよう 空を舞うような悲しさを

 


 悪評高い『ゲド戦記』遅ればせながら、ようやく観ました。

 なぜでしょう? 私にはそう悪く感じられなかったのだけれど?

 天の邪鬼? 判官贔屓? 心の準備ができていた?

 興行的にも失敗だったようです。関係者がしかめっ面してました。
 それでも、そんなに悪くはなかったけどなあ。体調が良かったのかしらん?

 劇中の「テールの唄」はよかったです。萩原朔太郎の「こころ」をアレンジしたものだとか。
 グッときましたよ。

 人間は死を恐れるものなのでしょうか?

 生きる事に疲弊して、浄土を願う反面、
 未来永劫の生命を願う。というテーマが語り継がれています。

 若い頃に、萩尾望都の『ポーの一族』なんてありましたね。
 だけど愛する者たちが老いて死に絶えて往く中での不老不死って、そんなに価値があるのかな。

 秦の始皇帝もそれを求めたようですが、
 よっぽどの人格者でないと魂を疲弊する千年地獄のような気もします。

 私は永遠にさほど価値をみいだせない。

 『ゲド戦記』の公開から約一年。
 生きる事と死ぬ事の意味が問われています。
 私たちの心に潜む影とはなにか。邪悪かそれとも良心か
 光と影は一対です。
 隠すことも騙すこともできない。
 物事は陰影で映し出されている。
 光だけでも 影だけでも 映し出すことは不可能。

 なぜか司馬さんが残した「天然の無常」という言葉を思い出しました。
 この世の事象にすべての答えがあるようです。


 雨のそぼ降る岩陰に いつも小さく咲いている 花はきっと切なかろう

 色を霞んだ雨の中 薄桃色の花びらを 愛でてくれる手もなくて

   心を何にたとえよう 鷹のようなこの心

   心を何にたとえよう 空を舞うような悲しさを

 人影絶えた野の道を 私とともに歩んでる あなたもきっと寂しかろう

 虫の囁く草原を ともに道行く人だけど 絶えて物言うこともなく

   心を何にたとえよう 鷹のようなこの心

   心を何にたとえよう 空を舞うような悲しさを



「テルーの唄」
歌手:手嶌葵 作詞:宮崎吾朗 作曲:谷山浩子

ビジュアルはひろさんの「健康日誌」より
「百合」の花
美しいものはあの世ではなく この世にあるじゃないか
http://blogs.yahoo.co.jp/bitter_sweets02