甘茶でカッポレ(7)性善説と性悪説の間組(1)
性善説と性悪説。前者は孟子、後者は荀子です。
私はどっちかというと孟子ファンなので性善説派でしたが、
みなさんの意見を聞いてうなずいていたりしてたら分からなくなった(汗)。
非常に難しいテーマで、記事にまとめるのはもっと先と思っていたのですが、
こういちさんからのコメントの中にヒント感じて、少しやってみます。
>人殺しは悪だと思うけど、猛獣だって気の置き所が悪かったら平気で
>他の動物殺しますもんね。
そりゃ、こういちさん、違うよ。動物と人間は、、、。ん?
満腹なライオンは決して無闇に狩りなどしない。
また、その殺生は自然の摂理とか本能なので悪ではない。
一般的にはこう考えますよね。人間には知性がある。んん?
人間と動物。違いは智恵か?
チンパンジーはイジメをやるそうです。人間に一番近い動物くん。
成人に達しようとする若いオスのチンパンジーは自分の存在をアピールしようと、
群のメスや子供のチンパンジーを虐める。動物奇想天外で観ました(笑)。
私は、人間は誕生した段階ではやはり「性善説」としたい。
それが成長と共に脳が発達していきます。智恵がつく。
人間の悪徳って、この智恵というものなのではないでしょうかね。
そうなると性善説でも性悪説でもなくて、誕生した段階ではピュア。
それが成長に伴い智恵がついて善にも悪にも転ぶ。智恵も道具です。
使い方次第。
私がなぜ、性善説に執着したかというと、
人間の本質は「善」であるという考えに納得したからです。
例えば、それを隠したり押さえたりすると、必ず肉体や精神を病んでしまうしょうです。
そんなこと言ったって現に「悪人」はいるじゃないか。と反論するでしょう。
悪人はそれを「悪」だと認識していない。
ヒットラーにはヒットラーの正義があった。
ナポレオンはフランスにとっては英雄で、その他の国の人には略奪者で悪の権化。
最近、ニュースで犯罪者の弁護内容に首を傾げることがしばしば。
善悪の判断能力の有無。どうしたものでしょうかね。
みんな病気にしてしまう。
殺生を生業にする者たちを法然は救済しました。大丈夫だと。
私も納得です。そういう風に宗教は変化対応していきます。
良い事をするのは苦行じゃないですよ。
そういう事を心掛けたり行動することは気分がいい。とように人間の体質がある。
そんなに難しく考える必要はありません。健康のためでいいじゃない。
単純な事です。あの世なんて考える必要もない。
気持ちよく生きること、それが幸せ。
だから、自分に正直に、自分を偽らず、時には反省もして、
その智恵というものを正しく使うことが肝要かと思いました。
なんか坊主みたいでしたね(汗)。あっ!出家したんだった。ナンマイ
念仏はよけいでした(汗)。しかし蒸し暑いね。
ビジュアルはひろさんの「健康日誌」より
「百合」の花
美しいものはあの世ではなく この世にあるじゃないか
http://blogs.yahoo.co.jp/bitter_sweets02