あかんたれブルース

継続はチカラかな

ドンキホーテと言われた経営者

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性善説性悪説間組(3)


 そういう意味で、君主とか経営者というものは、従業員に心を寄せることなく、
 冷酷に冷静に不信の決意で、ただ目的を敢行するのみ。なのでしょうか(汗)。
 人間関係でもそれは言えるの? 決して信じない強い心。

 カネボウという会社がありました。もともとは鐘紡という紡績会社です。
 御存知のように粉飾決算問題から、先月「クラシエ」という社名に変わった失墜ブランド企業。
 この紡績会社が化粧品や食品など多角経営に乗り出した経緯は、
 城山三郎の代表作『役員室午後三時』などで描かれています。どんな企業でも寿命がある。

 明治の人で、武藤山治という人がいます。
 慶應から米国留学して三井銀行に入社後、鐘紡に入社。大正10年に社長に就任します。

 紡績というと「女工哀史」ですね。実際に明治・大正・昭和までそうでした。少なくとも戦前まで。

 ハリキリ娘だった山川菊栄救世軍のお手伝いで大八車を押して向かった下町の紡績会社。
 クリスマスの日に彼女が見たものはすり切れて疲弊した少女たち。
 大八車に積んだプレゼントやメッセージも、そして自分の無力と現実を脳天チョップ(激怒)。
 グレて社会主義者になったとさ。

 でもね、武藤山治は違いました。そんなに従業員を酷使しても効率は上がらないんだ。と
 彼は社長という経営のトップで「温情主義経営」を実践した。そして、立証させたのです。
 ブラビー! マキアヴェリのバカ。日本には武藤山治がいるぞ。

 ところがさ、この温情経営だけでは限界があるようです。環境の問題ですね。
 時間の経過と考えていい。
 実業経営とは常に発展と成長を求められます。
 それを打破するために武藤は政界に打って出ます。
 財閥の横暴に対抗しようと、少数会派を結成。しかし、圧力の壁は猛烈でした。
 それでも武藤はへこたれない。場所をジャーナリズムに移します。

 頑張れ!武藤山治

 昭和九年三月九日。鎌倉からの出社途中でテロリストの凶弾が武藤を襲う。
 享年67歳。

 ひとは武藤山治ドンキホーテという。そして、武藤が育てた鐘紡の栄光は失われました。
 しかし、明治という時代が生んだこの日本人を、経営者を私は眩しく思う。
 国家と個人が、理想と現実が、確実に近く感じられた時代に熱き日本人が奔走していました。
 
 たとえ非業の死に倒れても
 巨人マキアヴェリに対峙して、一矢を報い、己の信念を実践で証明した漢。
 そんな武藤山治に私は拍手を惜しまない。
 性善説性悪説そう簡単には勝負はつかないようですよん。