甘茶でカッポレ(8)
五木寛之の『大河の一滴』だったか『他力』だったかの一説に、
ジョーカーの話が出てきます。
エピソードの提供者は石岡瑛子。グラフィックデザイナーの頂点を究め、
現在もニューヨーク在住。
コッポラの映画『ドラキュラ』の衣装デザインなど、その活動は多岐にわたる。
写真は若い頃なんでしょうかね。私より20歳年長なので御注意下さい。
それにしても美しい。天は二物を与えたか。
さて、彼女はこう言った。
「仕事でチームを組むと、必ずジョーカーが紛れ込んでいる。
私はそれが我慢できない。
私がニューヨークで仕事をするとき、チームの人選は必ず私に有ることを条件にしている。
私はジョーカーを許さない。完璧を目指しているから。」
手元にネタ本がないので、ニュアンスですよ。こんな事を書いていました。
それに、五木寛之が噛みついた。やんわりとね(汗)。
「石岡さん、それではあなたの作品はあなたを超えることはないですね」とか
五木さんの言わんとするのは、たとえジョーカーでも、その存在があるから、意外な突飛な失敗が生じて、
それを解決するなかで結果として想像以上の作品が完成する場合がある。
それは自分の想像や範疇を超えている。
つまり、石岡瑛子の完璧は本人の完璧であり、その手法ではそれを超えることはない。
確かにそうだ。そうだけどさ、、、。
石岡瑛子にそこまで言えるのは五木寛之だからだよね。
私は別に石岡瑛子の味方するわけじゃないけど、彼女の気持ちは分かるな。
ええ?美人に弱い? 何年前の写真だよ(怒)!
彼女は業界でもその評判は必ずしも宜しくない。
手がけた印刷物の色が悪いと、印刷会社の輪転機の前に職人を整列させて激興してたとか。
これでも、お前達はプロか! と。
たまたま代理店の担当者と知り合いで
「馬ちゃん、あんな風になっちゃダメよ。あれはよくない」と言われました。
私にとって石岡瑛子はそんな人でした。キツイい人なんですね(汗)。
でもさ、彼女の言わんとすること、やらんとすること、その姿勢はよく分かります。
クリエイターといわれもグラフィックデザイナーは芸術家じゃない。
作家が個人で向き合う作業に対して、これらのクリエイターはチームで製作する。
アートディレクターとして、彼女が求める完璧は指南の技。
それを超える偶然など彼女は決して求めない。その完璧こそ奇跡に近いのだから。
五木さんの言わんとすることも分かるけれど、それは仕事や立場の違いや、次元が違う。
正しいけれど、持ち出す「引出し」の場所が違っている。
彼の結論とする「他力」の在り方に疑問を感じたのはここからでした。
別に石岡瑛子なんて好きじゃないよ。
付き合うんだったら五木さんのほうが優しくていいだろうね。
問題はこのジョーカーに指揮権や人事権や主張や個性どかががあったってことです。
彼女は一番それが我慢できなかったんでしょう。きっと