美化するのではなく、正しい歴史認識として
昨日の終戦記念日で思いを語りましたが、ゆたちゃんから下記のコメントを頂きました。
>私のところに来てくれる人が、
日清日露の戦争は防衛戦争だったって言うですけど、馬さんの意見お聞かせ下さい。
少し、また語ります。・・・語りすぎてしまった(涙)。まだ足りない(汗)
簡単にまとめます。その下の能書きは興味があればどうそ。
また、違う場で細かく語るときもあるでしょう。(まだやるの?
では、簡単に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日清戦争は楽勝で勝ったと伝えられていますが、清国が「張り子の虎」と判明するのは日清戦争の後、その結果から。
日本は明治維新を敢行した後、国力の問題で到底太刀打ちできないとされていました。
日露戦争はもっと無謀です。国力差8倍、常備兵力15倍。誰も日本の勝利を信じません。
戦争をする「お金」もなかったんです。
無理があるもん。
当時の政治家、財界人で日露戦争に賛成した人はいません。きっぱり!
せいぜい、東大七学者という世間知らずの方々ぐらいです。
なのになぜ戦争をしなければいけなかったか。
「国防」という切羽詰まった状況があったからでしょうね。
「侵略戦争」の原点? そんな(汗)。
それは歴史の後口上。時系列を無視した戯言です。
ここまで。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○ 幕末とは武士階級が閉塞していた時代です。武士を公務員兼軍人と考えてもいいです。
それと地方と中央の格差がありました。地方は貧しく、中央は豊か。
○ 明治維新はこの階級革命と考えてもいいです。
徴兵制によって平民が兵士になる。武士は路頭に迷い、警察関係に進みます。
○ 西郷隆盛の「征韓論」は革命後の武士たちのエネルギーの行き場と考えてのいいです。
これは秀吉の朝鮮出兵にも似てるかも。メカニズムの観点から。
当然、当時の西洋列強の弱肉強食の植民地主義、民族差別もありますよ。
○ 日本は島国であり、国防を優先として考えます。
長州の山田顕義は山県有朋が押し進める「徴兵制度」に反対します。
その第一の理由が「お金」。兵隊を養うのにはお金がかかる。
島国が国防を第一に考えるのに平時の軍隊維持には財政的にまだ無理でした。
それを山県は強行しました。派閥争いと日本を一等国にしたいという念願。
日本は幕末に結んだ「不平等条約」の改正というテーマがありました。
○ 日本には中華思想がありました。
これは漢民族の思想ですが、満州民族の「清」に滅ぼされ、その後継者こそが日本である。
因みに朝鮮は「小中華思想」です。ベトナムは日本と同じ独立した中華思想。
当時の世界情勢で清国や朝鮮は脆弱で自国を束ねることもままならない。
また、アジア諸国は植民地化されて列強の草刈り場となっていました。
アジアの開放とその盟主となり一等国となる。これが日本の姿勢でした。
○ それでも一番の脅威はロシアの南下政策です。
クリミア戦争の挫折から。その食指はアジアに向かいました。朝鮮・清国・日本です。
●日清戦争、特に、日露戦争を侵略戦争の出発点とする考え方がありますが、
これらの時代背景を考えて、それはあたりません。正確には満州事変からのことでしょう。
すべてにロシアの動向がカギを握っていました。な
○ 当時の元老で戦争に賛成だった者はひとりもいません。
勝てない。勝てる自信がない。そして、お金がない!
そんなあやふやな心許ない戦争を「侵略」といえるか。ですね。
日清戦争は清国というよりも北洋軍閥と戦っただけですが、
日露戦争は世界一の陸軍を有するロシアと戦いました。勝てたのが奇跡です。
そんな状況で侵略云々を語るのは間違っている。
「窮鼠猫を噛む」ですよ。
○ 日露戦争を勝てたのは日英同盟の締結が存在したからといっても過言ではない。
しかし、当時の大英帝国は世界最強の国ですよ。
こんな極東の黄色人種の三等国と同盟を結んでくれたものです。
要はロシアの牽制。
自分はボーア戦争で手が回らないので、日本に極東の警備隊をやらした。
そういう各国の国益がからんでいます。
○ 日清戦争は薩摩の川上操六が、日露戦争は長州の児玉源太郎がやった。
といって過言ではありません。
日本には軍人として、戦略家として、この時に天才が存在しました。
政治家にも実業家にも腹のすわった人物がいました。明治人です。少数でも
彼らの中には確実に「日本の中華思想」があったのでしょうねえ。
それと侵略は違います。
○日露戦争の勝利は不平等条約改正につながります。しかし、驕ってしまた。
特に、乃木希典の旅順攻略が「精神主義」を増長させてしまいます。
そして、第一次世界大戦による漁夫の利的な経済活性化。その後の世界大恐慌。
そして、組織の老朽化、官僚支配。国家経営の矛盾を侵略でなんとかしようとします。
そこからですねよ。侵略って言葉を使うなら。
>私のところに来てくれる人が、
日清日露の戦争は防衛戦争だったって言うですけど、馬さんの意見お聞かせ下さい。
少し、また語ります。・・・語りすぎてしまった(涙)。まだ足りない(汗)
簡単にまとめます。その下の能書きは興味があればどうそ。
また、違う場で細かく語るときもあるでしょう。(まだやるの?
では、簡単に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日清戦争は楽勝で勝ったと伝えられていますが、清国が「張り子の虎」と判明するのは日清戦争の後、その結果から。
日本は明治維新を敢行した後、国力の問題で到底太刀打ちできないとされていました。
日露戦争はもっと無謀です。国力差8倍、常備兵力15倍。誰も日本の勝利を信じません。
戦争をする「お金」もなかったんです。
無理があるもん。
当時の政治家、財界人で日露戦争に賛成した人はいません。きっぱり!
せいぜい、東大七学者という世間知らずの方々ぐらいです。
なのになぜ戦争をしなければいけなかったか。
「国防」という切羽詰まった状況があったからでしょうね。
「侵略戦争」の原点? そんな(汗)。
それは歴史の後口上。時系列を無視した戯言です。
ここまで。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○ 幕末とは武士階級が閉塞していた時代です。武士を公務員兼軍人と考えてもいいです。
それと地方と中央の格差がありました。地方は貧しく、中央は豊か。
○ 明治維新はこの階級革命と考えてもいいです。
徴兵制によって平民が兵士になる。武士は路頭に迷い、警察関係に進みます。
○ 西郷隆盛の「征韓論」は革命後の武士たちのエネルギーの行き場と考えてのいいです。
これは秀吉の朝鮮出兵にも似てるかも。メカニズムの観点から。
当然、当時の西洋列強の弱肉強食の植民地主義、民族差別もありますよ。
○ 日本は島国であり、国防を優先として考えます。
長州の山田顕義は山県有朋が押し進める「徴兵制度」に反対します。
その第一の理由が「お金」。兵隊を養うのにはお金がかかる。
島国が国防を第一に考えるのに平時の軍隊維持には財政的にまだ無理でした。
それを山県は強行しました。派閥争いと日本を一等国にしたいという念願。
日本は幕末に結んだ「不平等条約」の改正というテーマがありました。
○ 日本には中華思想がありました。
これは漢民族の思想ですが、満州民族の「清」に滅ぼされ、その後継者こそが日本である。
因みに朝鮮は「小中華思想」です。ベトナムは日本と同じ独立した中華思想。
当時の世界情勢で清国や朝鮮は脆弱で自国を束ねることもままならない。
また、アジア諸国は植民地化されて列強の草刈り場となっていました。
アジアの開放とその盟主となり一等国となる。これが日本の姿勢でした。
○ それでも一番の脅威はロシアの南下政策です。
クリミア戦争の挫折から。その食指はアジアに向かいました。朝鮮・清国・日本です。
●日清戦争、特に、日露戦争を侵略戦争の出発点とする考え方がありますが、
これらの時代背景を考えて、それはあたりません。正確には満州事変からのことでしょう。
すべてにロシアの動向がカギを握っていました。な
○ 当時の元老で戦争に賛成だった者はひとりもいません。
勝てない。勝てる自信がない。そして、お金がない!
そんなあやふやな心許ない戦争を「侵略」といえるか。ですね。
日清戦争は清国というよりも北洋軍閥と戦っただけですが、
日露戦争は世界一の陸軍を有するロシアと戦いました。勝てたのが奇跡です。
そんな状況で侵略云々を語るのは間違っている。
「窮鼠猫を噛む」ですよ。
○ 日露戦争を勝てたのは日英同盟の締結が存在したからといっても過言ではない。
しかし、当時の大英帝国は世界最強の国ですよ。
こんな極東の黄色人種の三等国と同盟を結んでくれたものです。
要はロシアの牽制。
自分はボーア戦争で手が回らないので、日本に極東の警備隊をやらした。
そういう各国の国益がからんでいます。
○ 日清戦争は薩摩の川上操六が、日露戦争は長州の児玉源太郎がやった。
といって過言ではありません。
日本には軍人として、戦略家として、この時に天才が存在しました。
政治家にも実業家にも腹のすわった人物がいました。明治人です。少数でも
彼らの中には確実に「日本の中華思想」があったのでしょうねえ。
それと侵略は違います。
○日露戦争の勝利は不平等条約改正につながります。しかし、驕ってしまた。
特に、乃木希典の旅順攻略が「精神主義」を増長させてしまいます。
そして、第一次世界大戦による漁夫の利的な経済活性化。その後の世界大恐慌。
そして、組織の老朽化、官僚支配。国家経営の矛盾を侵略でなんとかしようとします。
そこからですねよ。侵略って言葉を使うなら。