あかんたれブルース

継続はチカラかな

メガネコンプレックス

 くやしいけれど鷲津の眼鏡は似合ってた。負けた

 夜中にふと目が醒めると、寝つけないときがあります。
 ベランダに出て煙草を吸ったりするのですが、綺麗な月が出ていたりします。
 東の空の三日月。

 私は近視で乱視です。その時は眼鏡をしていなかったもので、その三日月が不思議な形状に見える。
 たくさんの三日月が分身して、まるで花火のようです。
 遠くのマンションの外灯も小さな花火。

 真夜中の静寂に花火大会。変でしょ。眼鏡をかけていない人にはわからないよね。


 私の父は船乗りでした。

 その制服の袖には四本のラインが縫い込まれていて、幼心にも憧れたものでした。
 私の生まれ育った町には水産高校があって、男子の多くが船乗りになる道を選びます。
 オイルショック前の話ですよ。そういう時代でした。

 父は私を船乗りになることは望みませんでした。
 「船乗りほど哀れな仕事はない」
 これが彼の口癖で、その先には「孤独」があり、家族と別れて生きる辛さがあったようです。

 もうひとつの父の口癖が「絶対に眼鏡をかけるな」でした。

 父は機関部の責任者で、作業中の突発的な故障の対処に、
 ある部下がボイラーの蒸気で眼鏡を曇らせて支障きたしたことを幼い私に何度も語ったものです。

 私は乗り物酔いの酷い子供だったので、はなから船乗りなんかになるつもりはありません。
 ただ、なんとなく、眼鏡をかけることがいけないことなのだと薄ぼんやりと感じていただけです。

 高校一年のときに私は眼鏡をかけます。
 野球部での外野ノックが夕暮れ時になると見えづらくなったのが理由でした。
 一度眼鏡をつけると、もう外せないものですよね。以来、私は眼鏡かけさん。

 そのことを知った父は「そうか」とひと事だけ。寂しそうでした。
 だから私の心も少し痛んだ。

 それ以前の男の価値観として、眼鏡キャラは決してヒーローにはなれない。
 ガリ勉とか、ひ弱な博士くんとか、脇役なんだよね(涙)。

 ところが、時代は私を見捨てなかった。

 フォークソングブームはニューミュージックへ。
 眼鏡も黒縁から細い銀縁へ。優しさと知性の象徴に変わる眼鏡。
 野球部を辞めた私は迷うことなく髪を伸ばしギターを手にしました。
 これで天下を獲れる!(なんだそれ?

 父の思いなんて馬の面にションベン。(蛙だろ


 遠い日の花火のように燦々と輝く異形の月を見つめてひとこと。

 メガネのパリ・ミキ