あかんたれブルース

継続はチカラかな

師の心 弟子忘れ、贔屓の引き倒し。グッチャーン!

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甘茶でカプチーノ(4)


 先日、「全日本少年武道錬成大会」での日本武道館でのスナップ再度流用します。
 これは全国の剣道少年、小学生の大会。

 広い会場に各剣友会・道場の垂れ幕が見えますね。
 「平常心」とかが一番多かったです。「心」「闘魂」などなど。
 各自の団体名の他に、そのスローガンが大きく書かれているものも多いですよね。

 私はここで意外にも 「 守 破 離 」 というのがあったのに驚きました。意外に多い

 小学生で「守破離」はないんじゃない(汗)。
 垂れ幕の予算の問題で兼用してるかもしれないけど、大学生でもどうだろう?
 ましてや、剣友会・道場に参加する人達が己の流派を究めようという「守破離」をスローガンにするだろうか?
 まあ、これは後日談がありまして、それは別の機会に記事にします。

 「守破離」は「道」つまり、華道、茶道、剣道、柔道など「道」の付くものを究めて、
 自分自身のものにする方法論、その考え方です。
 最初は師の教えを守り、次にそれを破ってオリジナリティーを編み出す。
 そして、離れて自分で歩みだす。というプロセスです。

 けれども、その師匠があまりにも偉大だとなかなかそれを越えることは至難の事となる。

 真理哉さんが開祖・空海は素敵だけど、その後の弟子達が真言宗を台無ししてしまった。と御立腹です。

 その弟子達は「守」だけで止まってしまったんでしょうねえ。
 いや、「守」だけならいいのですが、
 暇なもんで、自分たちが守るものに権威付けをしはじめてしまった。
 これが余計でした。

真言宗は、「空海は入滅じゃなくて入定した」って言い出した時点で、終わってんのよね。(真理哉談)

 まあ真言の弟子達が各自フランチャイズのようにベンチャーする必要はないのですが、
 自分たちの組織・存在に箔を付けようって魂胆もセコイな。

   人間は組織を作るが、組織は人を作らない。

 また、秩序や規律の厳守を唱える行為は無能者の絶好の隠れ蓑とも言われます。

 私は、宗教は人間の叡智が生んだ哲学だと考える。
 そして、空海法然が開祖として歩みはじめた時に、そんな組織は存在しませんでした。
 イエス様だってそうじゃないですかね。
 一神教云々よりも、それを勝手に拡大解釈させたりする組織の弊害は大きいと思うのです。

 その意味で、
 近代日本の代表的なキリスト教思想家・内村鑑三が無教会主義を唱えたことは意味深い。
 ある意味でかれは「守破離」をやり遂げたのではないでしょか。
 ここに、日本人の日本人によるキリスト教というものを感じます。


 師匠の気持ちもどこへやら 悟りの亡者 奔る (馬珍♪


写真下は内村鑑三先生。この人「萬朝報」の記者だったんですよ。
今でいう「東京スポーツ」です(汗)。