日本人の恥の文化について(2)
現在の日本人のルーツは半島からの騎馬民族といわれています。
これが弥生人。
それ以前の縄文人と融合したり追いやったりして私たちが存在するといいます。
それも戦国時代、武田の騎馬軍団が長篠の合戦で信長に破れ、
家康に吸収され、その家康は徳川幕府を開くと儒教農業国家を造りあげる。
それ以降、日本はすっかり米本位制の農業国家になりました。
なにが言いたいかというと、日本は「村社会」であるということです。
これだけは、明治維新だろうが大東亜戦争の敗戦だろうがバブル崩壊だろうが、変わらない。
日本の社会はピンからキリまで「村社会」であることが、ひとつ。
日本人の恥の文化を、武士道とか最近のモラルハザードや拝金主義を取り上げて、
比較したり嘆いたりするのは間違いです。
それは「最近の若者は、」という視点と同じで、時代のトレンドであり、価値観の変化によるものです。
ここでいう日本人の恥の文化というのは、村社会における「恥」であり、
他人に笑われたり、異質だったり、目立つことを極力抑えることにあります。
他人といっても周囲とか近所とか職場とか通勤途中とか、
個人にとっての知る限りの範囲です。
例えば、小学校低学年までならば授業中に先生の質問に対して、
「はい!はい!はい!」と元気に挙手して答えます。分からなくても手をあげる(笑)。
これが自我の目覚めとか思春期とか成長に伴って、
周囲の目を気にして分かっていても手をあげなくなります。
簡単にいうとこんな感じです。
そういうところを美徳と捉える傾向も、またあるようです。
協調性なのかもしれない。良い悪いは別として。
多くの日本人がファンションから思考と趣味趣向のすべてを
他人を意識して生きようとする。
そこに、異端を恐れる村社会精神があり、批判を恐れる気持ちがあります。
はやい話が村八分を恐れる。
陰湿なイジメとは暴力よりも、ここにあります。
嫉妬を恐れ、誹謗中傷を危惧する。
横並び。人並み。壁の花。
出る杭は押さえられる。
赤信号、みんなで渡れば怖くない。
これが日本の恥の文化の本質です。
とは別に、それとまったく異なる生き方をした日本人のお話。
は、また明日。ですかね(汗)。