日本人の恥の文化について(3)
『日露戦争と「菊と刀」』(森貞彦・著)では
『坂の上の雲』から5人の登場人物をピックアップしています。
山本権兵衛(海軍大臣。日本海軍の育ての親と言われた薩摩の豪傑)
児玉源太郎(満州軍参謀長。作品中盤のヒーロー)
秋山好古(日本の騎兵隊の父。古武士のような陸軍少将)
秋山真之(日本海軍天才作戦家。兄・好古に影響されて海軍に進む)
東郷平八郎(連合艦隊司令長官。バルチック艦隊を撃破した提督)
『坂の上の雲』は秋山兄弟と正岡子規を主人公にした小説ですが、
実態は群像劇なので、上記の他のも多くの登場人物がその場面場面を席巻し、かっさらっていく。
さて、同作品で主役を演じるこの5人に共通するもの、
「恥知らず」だと言う。
別に、権兵衛が品川の遊郭から誘拐を働いた。とか、
児玉が熊本城に放火した。とか、好古が職務中に飲酒していた。とか、
真之が所構わず放屁していた。とか、東郷が英国商船を撃沈した、とかじゃありませんよ(汗)。
彼らはその時代、その環境、その職場、その立場にあって、
周囲の目を気にすることなく行動した男たちです。
(彼らの紹介は稿を改めて紹介します)
彼らは、日本の「恥の文化」を屁ともしないで行動した。立派な恥知らずです。
なぜ?
その状況が切羽詰まっていたんでしょうね。
個人以上に、組織共同体以上の、日本という国が切羽詰まっていました。
だったら、みんな切羽詰まったか?というと、そうでもない。
その他大勢は「恥」の文化の中で、汚職に励み立身出世と自己保身に奔り、
責任を回避して、目先の安念を願い、まあまあなあなあですごしていました。
いつの時代も同じです。
『坂の上の雲』には、彼ら5人の他にも綺羅星のような恥知らずが登場する。
どうせ小説。司馬さんの虚構戯言だろうと言う者。喝っ!
違うんだなあ。
小説とかじゃなくて、歴史文献資料から考察して、彼らの偉業は間違いない。
西郷従道、伊藤博文、高橋是清、島村速雄、加藤友三郎、上村彦之丞、福島安正、小村寿太郎などなどなど(涙)。
大いなる恥知らずな漢たちが明治に現れました。
まるで水滸伝のように、綺羅星の如くおおよそ百八つ。ほど
恥の文化は、村社会として、許される環境ならば、協調とか調和のエキスとして効果もあるのでしょう。
しかし、そのまま、それだけでは、腐敗してしまうのも確かです。
では、なぜ、いま。私たちは「恥の文化」を脱却しなければいけないのか。
交通事故や犯罪病死以外に、年間の自殺者が3万人を超えるといいます。
これは日本が毎年旅順要塞を攻略しているようなもの。戦争以上です。
これが、危機的状況といわないで、どうしましょう。
それを心の病だという。言うのはいいけれど、じゃあどうするのか?
医者にいって抗うつ剤を処方してもらうだけで事足りるのか?
司馬遼太郎はこの作品を楽天家たちの物語としました。
しかし、楽天家と御都合主義者とは根本から本質が違います。
彼らは理想と現実をつなげるように、一心不乱にただその坂を登ります。
額に汗して、周囲の嘲笑も気にせず、ただ信じることを頼りにして坂を登る。
ふと、目を坂の頂上にやれば、青い空にぽっかりと白い雲がある。
それを見つめて、また坂を登る。
坂の上の雲を見つめて、男たちは戦いました。
なんか今日も力が入ってしまって、また長くなりましたね(汗)。
次回からは極力短くするように心掛けます。