日本人の恥の文化について(5)
やさしい日本人。
そういうと語弊があるかもしれませんが、日本人の心根は優しさにあります。
だから、正直者が馬鹿をみる。
という言葉に非常に反応してしまう。琴線をえぐられてしまう。
本当は正直者なのです。
それでも、それを逆手に取られたりして、利用されたり、裏切られたりするのが我慢できません。
私たちの憧れはいつしか、抜け目のない、酸いも甘いも知り抜いた、現実主義者に向かいます。
その意味で、正直者は鈍くて間抜けで世間知らずでアマちゃんになってしまう。
幼い頃に、親や先生や道徳の時間に教わっても、
それはそれ、これはこれ、と正直者で馬鹿にされることを恐れてしまう。
仕事でも恋愛でも
馬鹿だけはみたくない。
だから賢さを求めてしまいます。
そして、他人がやってるのならやらなきゃ損。
という発想に発展していきます。貰い損
最初の悪事に手を染める勇気はなかなかありませんが、
その環境が整えば自然にやいます。良心の呵責なんてない。
恥の文化の裏返しですね。
恥の文化は個人よりもその時代や環境のトレンドに左右されているようです。
伊勢の商人はこの正直者精神で信用を勝ち取り成功したと言われます。
別に正直が馬鹿をみるわけではありません。
立派なコミニュケーションツールであり、生き方のひとつの王道だと思います。
日本人の一番の欠点は「流されやすい」ことですかね。