はじめまして。
盟友の前野晴男さんからブログやろうって誘われたのですが、ちょっと腰が引けて三ヶ月の猶予をいただいてヤフーブログで練習してみたいと思い開設しました。
馬太郎と申します。
競馬狂かといえばさにあらず、ナリタトップロードの菊花賞から競馬やめました。大負けしたからじゃない。単勝、馬連の一本買いでの的中だった。
馬券の配当よりもなによりもこれで13年間の競馬人生に憂愁日(?)が飾れるとパチンコに衣替え。海物語にハマっていたのさ(涙)
株にもハマッタ。そして身動きとれなくなりました。
あれも博打です。やめた!
じゃあ女か! 馬太郎って精力剤があるぞ。この種馬野郎!
でもないんだよね。
四十前に糖尿病になってさ、あれは息子の一才の誕生日の週だった。残暑が厳しい涙の木曜日、医者に宣告されちゃった。男盛りの39歳のはずなのにショックだった。つらかったなあ・・・
それで酒もやめたよ。従って飲む打つ買うやらない真面目な男です。
人生の折り返し地点を私は35歳として前期後期にわけてます。はたして70まで生きられるかどうかしれないが、息子(Kちゃん)が成人するまで
なんとか頑張ろうと心を入れ替えた!
とかなんとかいっても、お酒は温めの燗がいい、ウイスキーは濃い目のスコッチが、焼酎は芋に限ります。最近はソーダ割りだわ。
なるだけ慎みます。
というわけで、「お金と人生と幸福と」というブログを立ち上げました。
人生を達観したというかあきらめた中年オヤジが、甘いく酸っぱい辛酸をなめながら血糖値を気にしつつ近現代史に照らし合わせて「お金と人生と幸福と」を語ります。
「金の切れ目が縁の切れ目」
「坊主は布施のぶんだけ経を読む」
「地獄の沙汰も金次第」
まあ、あって不自由をするものではありませんが、ないと不自由をするのも「お金」です。
幸せになるのも不幸になるのも「お金」の存在はつきまとう。
「あってもなくても」というのが厄介なところですね。
今時、このお金が嫌いな人なんざあ いないでしょうが、幕末頃から明治にかけては結構いらっしゃったようです。というかそういように育てられたのが「士族の子弟」でのようです。
「不浄のモノ」という位置づけなのでしょうか。
親として金銭には淡泊になって欲しい、それが故に道、志、を誤らないで欲しいというのもあったのでしょうか。それを理解できない私たち現代人は「誤りっぱなし」の人生なのであります。
昨年の「マンション構造設計偽装事件」やら「ライブドアショック」などなど、お金にまつわる騒動は後をたちません。
いったい日本人はいつの頃からこんな根性に成り下がったのかとお嘆きの方々もさぞや多いことでしょう。
ちょいと字引をヒモ解けば安政年間の日本開国に端を発するようです。
所謂、日本のグローバル化が由縁するわけですな。
なかでも米国人はその辺が非常に顕著で、明治になってからも
「あの銭ゲバ根性はなんとかならんのかね」と問われた高橋是清の旦那は
「あれは彼らの独立心を守る手だてであって、銭勘定だけのことではありません」という申し開きをしているようです。
アメリカ人は迫害されて祖国を追い出された方々が建国した国です。
その独立心には多大な思い入れがあるでしょう。
「淋しい草原には埋めないでおくれ」は
映画『駅馬車』の主題曲でしたがアメリカ民謡でもあり、それは故郷スコットランド民謡からのものではなかったでしょうか。
さびしがり屋のアメリカ人がお金を大切にしたというのも、なにやら切ない話ではあります。
まあ、こんな感じで「お金」と「人生」と「幸福」をテーマに、
「本」「映画」「ギャンブル」「株とか経済の儲け話」
はたまた「見聞」「体験談」などなど絡めて、
「人生相場道場」でも始めてみましょうか。
という趣向ですが、はたしてこれが上手くいけるかどうかが問題ですな。