あかんたれブルース

継続はチカラかな

汝の名「お金」 その正体とは何ぞ也?(其之一)

 なんか全然まじめでない。こんなことでいいのか!と、反省しつつ、はじめましょう。
昨年の暮れの大晦日から元旦にかけて、ヤフーファイナンスソフトバンク掲示板で
「貧富の差は広がって」とかなんとかの書き込みが反響を呼んだのであります。
 最初の書き込みさんは今回の株式分割の暴騰で結構儲かったようで、
数年前のITバブルと同様の大金を掴んだという、羨ましいお話。
だけど、心は満足するどころか空しさでいっぱい。
居酒屋の隣で気炎をあげる労働者が羨ましくてしょうがない。
結局、親に100万円おいてきた。というなんとも哀愁漂う
師走の夕暮れ時は寂しそう影踏みだったのであります。

 「そんな弱気じゃ、心に隙ができるぞ。親に100万おいて来たのならそれでいいじゃないか」
とかなんとか私もついつい2番目あたりに書き込んだでしょうか。
まあ、そうしたら「お前のような奴は死ね」とか大変な反発でして、
何がカンに障ったのかホウホウの体で風呂に入ったものでした。
 その反響とは、大別すると「儲かっているくせに何寝ぼけたことをいってるのか」
という反発から「分かるよ。その気持ち」という同情的なもの、
そして、いまの虚業の世界の在り方うあ政治経済への疑問・警告へと発展するのありました。

 まあ、金のない人間には「アホらしくて」しょうがないような話なのでしょうが、
昨今話題のデイトレーダーとかの方々はどんなに稼いでもバーチャルな「お金」でしかなく、
次のゲームのための「玉」でしかないのかもしれません。

 一般的に人間はどれぐらいの金があったら満足するのでしょうか?

 以前、所ジョージが宝くじのコマーシャルで「三億円」あれば大抵のことは解決すると
唄ってましたが、やっぱり、三億円ぐらいですかね。

 じゃあ、一人の人間が浪費しえるお金ってどれくらいなんでしょうかう?

 南米の女性に貢いだ方もいましたが、あれは貢いだので例外でしょうか。詐欺みたいなもの
ですからね。自分で使うとなると、趣味道楽ふくめてどれぐらい使えるものでしょうかねぇ。

 ギャンブルで株投資でもすれば簡単じゃん。と思われる方々。
それは手持ちを増やそうという魂胆、いや、思惑が見え隠れしますのでこの場合は採用しません。
増やす必要のないお金と考えてください。
 衣食住に考えればそう使えるものではないように思うのですが、どうでしょう。
 ブランド品を身につけて、美食を堪能して、豪邸に住む。一度は堪能してみたいものですが、
さて、その後どうしましょう。飽きませんかね。
ジャッキー・チェンも飽きたと言ってました。細木の番組で。
飽きなきゃ飽きないでそれでいいのですが。愛人を沢山抱えるの結構でしょう。
でも、最後は飽きますよ。きっと。

 どうも拝金主義とか批判される昨今の風潮ですが、
止め指す「享楽の最終地点」にはとてつもない閉塞感が待ちかまえているようです。
まあ、この辺はおいおい実例を紐解きまして語り続けていきたいと思うしだいです。

 なんか、お茶を濁したような書き込みになりましたな。タイトル付けで工夫してみます。