あかんたれブルース

継続はチカラかな

どこかで悪に憧れる理由

日本人の恥の文化について(10)



 善悪のお話としての

 悪い人

 ホントはそうそういません。

 ほとんどの人たちがその善悪の本質に悩み苛まれているものです。

 いや、悪い奴はいる。

 そうですね 確かに私たちは自分の棲む環境のなかで悪人を目撃しています。

 でも、ごく少数の例外を除いて、悪い人とはいないものです。

 それに徹しているほとんどの人にはその人なりの大義名分の正義があります。
 それを教条主義者と言い換えてかまわない。
 また、そこまで至らなくても、心根が臆病な人たちも多いものです。
 両極端ですね。
 前者は英雄として悪党として歴史に名を残すことでしょう。

 善と悪

 これだけでもその真贋を見抜くのは難しいですよね。

 勝者と敗者では決してそれを篩いにかけられない。

 人間はそれを畏怖して神々に祈りました。

 神々という複数は自然であり地球であり宇宙であったりしますが、
 一神教の場合は善悪を特定指名してしまうので、非常に危険かもしれません。

 何とかとハサミのようで、使用上の注意と使い方次第です。なんでも

 また、地本陣の特性として、
 そのアニミズムから発生した伝統美学があります。
 故に、「悪」に対しても独特な考え方があるようです。

 日本人は「悪」という言葉に深い意味合いをもっています。

 強靱でタフでしぶとく、不死身であり、
 ええ格好しいではく、世間の毀誉褒貶をものともせず、己の信念を貫く者
 それに対しての鎮魂の意味で「悪」という字を使ってきました。

 悪党(楠木正成など)、悪源太義平、悪七兵衛影清・・・悪党馬太郎とか(汗)
 悪漢ってニュアンスかな?それよりももっと深い。

 宗教的な原理はどちらかというとストイックで男性的なものです。

 日本のそれは生活密着型で女性的なやさしさがあります。

 そして、硬直しがちな男性的な発想を「もののあはれ」として
 「はにかみ」を含ませて「悪」とか「醜(しこ)」と称したそうです。

 万葉集でも「醜の御楯」「醜の醜草」「醜のますらお」なんてあります。
 これタフって訳してください。

 つまり、日本人ははかないもの美しさを感じて
 強靱な不死身を悪とか醜と表現しました。

 暴走族とかスケ番とかやくざの姿勢やスローガンもそこから来ているんですね(汗)。違うか

 少し話がずれたかな?