あかんたれブルース

継続はチカラかな

同じ顔をしたアジア人地球人

 まあ、そんなこんなで鹿児島に帰って
 地域の歴史や風俗・文化をあらためて見直してみると
 日本人のルーツとか位置付けを興味深く考えてしまいました。

 確かに、劉さんやその親族の人たちは
 フガサツで無神経で銭ゲバで俗物で油断も隙もない福建人です。
 けれども、非常に解りやすく
 また、どこかに親しみやすさもある。

 差別は自分たちと比べて異質な者たちへ向けられます。
 日本人は白人に対してはコンプレックスを抱きやすく
 同じアジア人に対しては何かと差別しがちです。
 中国人、朝鮮人、東南アジアの人たち。
 似ているから
 優越感と差別化を図ろうとしているのか。

 そういった傾向が強くなったのは明治後半から大正期にかけてだと思います。
 日清日露の戦争の影響が強い。昭和でそれは決定的な認識になった?

 幸せの価値観は比較によるものなので
 自分が不幸せでも劣っていても
 自分以上に不幸せで劣っている者を探し出しては
 現状に満足するという悲しい行為にすがる傾向があります。

 あるブログの記事で
 日本のなかの北朝鮮系部落出身者の政権黒幕説なんていうのがあったりします。
 根気よくその説を読んでいると、
 どこまで遡って純血日本人と渡来人の闇の血脈を区別するのか?
 私にはさっぱり分からない。
 そもそも、純粋な純潔な日本人っていうものが存在するのかどうか
 大いに疑問に感じます。
 
 また、最近こういった関連書籍が出回っているのも確かです。

 なんとなく、
 19世紀の米国でアイルランド人が同じアイルランド人を差別していたような
 不思議な感覚。

 これをネオナチとかいうのでしょうかね。

 「大アジア主義」というものが
 いまではすっかり民族主義として先の戦争の悲劇の病根のように扱われていますが、
 そんなことはない。
 また、そう表現すれば右翼だと指摘される風潮も異常だと思います。

 地政学や国家戦略とは別次元で
 日本人も中国人も朝鮮人も東南アジアの人たちも
 アラブ人もアフリカ人もみんな仲良くしたいものです。
 そのなかで、個別の相性もあるのだから
 それ以前に偏見や差別の篩いは余計ではないかと思いました。

 劉さんのお姉さんはこう叫びます。
 「日本人バカよ!」
 確かにいまの日本人は脆弱かもしれないが、そこは優しさとも解釈して
 姉さん、少し言葉を慎みなさい。

 高君はこういいます。
 「いい日本人は十万人に一人。あなたはその一人だ」
 そんなこと言ったらいい朝鮮人は百万人に何人いる?
 いい日本人は十万人に一人ではなく沢山いるし、
 いい朝鮮人も十万人のなかに沢山いる。